片山ふえ
この5月30日に、ロシア美術の殿堂「トレチャコフ美術館」(モスクワ)で「マイ・ミトゥーリチ生誕百年記念展覧会」がオープンするそうです。素晴らしい作品をたくさん遺した画家ミトゥーリチさんは私にとって忘れられない人。モスクワには行けないので、今回はここで読者の皆さまと彼の心温まる絵の世界をご一緒に楽しみたいと思います。

初めてミトゥーリチさんの絵を見たのは、1994年、当時小樽にあった私設の「ロシア美術館」を訪れたときでした。これは実業家・猿渡肇さんが私財を投じて造った美術館で、19世紀から現在まで実力派の作品が多数収蔵されていました。(残念ながらもうありません)。
そして私が訪れたときは「マイ・ミトゥーリチ展」が開かれていたのです。
初めて聞く名前でしたが、会場に足を踏み入れた途端、なにかやさしいものがふんわりと包んでくれているような快さを感じました。美術館の招きで来日中の画家が北海道の風景を描いた水彩画で、シンプルな線とやさしい色使いを通して北国の風の色や波の音が伝わってきました。その日から「ミトゥーリチ」は、私にとって特別な名前になりました。

その後私は、マイ・ミトゥーリチ(1925~2008)が、ソ連時代の子どもたちなら誰もがその絵を知っている絵本作家だと知りました。
大人の美術界では「社会主義リアリズム」が幅をきかせて、つまらない絵がはびこっていたソ連時代でしたが、「子どもには夢を与えられる上質の絵本を」という方針は生きていて、才能ある画家たちが腕をふるった力作絵本がたくさん生まれていたのです。
ミトゥーリチさんは、その代表格のひとりでした。


上と下 『不思議の国のアリス』
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そして、ソ連の(そしてロシアになってからも)子どもたちは「日本の昔話」を他ならぬミトゥーリチさんの絵で知ったのです。





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1994年に小樽でミトゥーリチさんの絵を見て感激した私は、その後インタビューする機会があって知己を得ることができました。そして、その絆が固いものになったのは、芭蕉の俳句をテーマにした書と絵の競作シリーズのおかげでした。日本の書家・森本龍石さんとミトゥーリチさんの共同作品で(特にロシアで)賞賛を巻き起こしたこのシリーズ、実は私の発案・企画だったのです。


この企画の一部始終を、当時(2002年)私は「We Love遊」に書きました。これは私の人生のなかで特記すべき出来事なので、お時間がゆるせば、ぜひこちらも読んでくださいませんか!
仲人虫~傑作が生まれた出会い(「We Love遊」17号より)
ミトゥーリチさんの話を始めたら際限なくなりそうな私ですが、ほかの記事も読んでいただきたいので、この辺にしておきます。
最後に、ミトゥーリチ夫妻が書家・森本先生の招きで来日し、和歌山の村での生活を楽しんだときの写真をお目にかけましょう。
このとき夫妻を訪れたのは、「We Love遊」を長年ご愛読いただいた皆さんには懐かしい本多立太郎さんでした!
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ミトゥーリチさんの展覧会が盛況でありますようにと、日本から祈りたいと思います。
久しぶりに彼の絵を見たロシアの人々は、きっとやさしい気持ちになれるでしょう。子ども時代を思い出す人も少なくないでしょう。
今あの国に必要なのは、やさしさです。