片山ふえ
これは2002年秋に書いた「We Love遊」17号の記事を加筆修正したものです。
いつからだろう、気がつけば私はすっかり「お節介婆」になっていた。昔はシャイで非社交的で、およそお節介とは縁遠かったのに。人間変われば変わるものである。長らく暮らした大阪の空気が、潜在下にあった私のお節介癖を引き出したのか。大阪はとてもお節介な街なのだ。
お節介婆の得意分野と言えば、真っ先にくるのが仲人だろう。そして、私もそのご多分に漏れず大変な仲人好きである。
と言っても、誤解のないように言い添えると、私が引き合わせるのは結婚願望を持つ男女ではない。男女の縁(えにし)は不思議なもの、人知を超えた運命の定めるところだと思っているから、そういう神聖な領域に首をつっこむような真似はしない。
私の「仲人癖」とは、平たく言えば、友人知人同士を引き合わせたがることである。ベテランの仲人婆には確かな眼識があり、結婚適齢期の男女だからと無闇に引き合わせたりしないものだ。私の場合も、長いお節介歴のなかでそれなりの勘が育ったと自惚れているのだが、そんな私の、世にも幸せな仲人話をちょっと聞いていただきたい。
一昨年(2000年)の5月、書家・森本龍石氏がモスクワのロシア国立東洋美術館で個展を開かれることになり、私もコーディネイターとして同行した。その開会式に、私はあるロシアの画家を招待していた。マイ・ミトゥーリチ氏。度々来日し、日本にまつわる絵もたくさん描いておられるので、ご存知の読者もおられるだろう。
以前、小樽のロシア美術館で限りなく優しく美しい水彩画に心洗われ、それがミトゥーリッチ氏の作品だと教えられて以来、私は氏の大ファンなのである。その後、幸運にも氏の知己を得て、モスクワへ行く度にこの素敵な老紳士にお会いするのが私の楽しみのひとつとなっていた。
脚の具合が悪いミトゥーリチ氏だったが、それでも書展の開会式にご夫婦揃って来てくださった。そして、とても熱心に森本氏の作品に見入っていた。その姿を見たとき、私の中に閃いたのだ!

森本氏は書の伝道師とでもいうべき人物。書の線の持つ力と味わいは漢字を知らない人にも分かるはずだと、積極的に書を海外に紹介してこられた。その作品は門外漢の私が見てもおもしろく、発想は柔軟自在である。この森本氏と、日本人の精神(こころ)を持つといわれる画家ミトゥーリチ氏とが合作をしたら……。そう思った瞬間に、私の中の仲人虫が目を覚ましてぶるっと武者震いをした。
新しい思いつきに興奮した私は、翌日ぎっしりつまった予定をやりくりして、森本氏をミトゥーリッチ氏のアトリエにひっぱって行った。昼食の時間がなくなってしまったが、そんなことでひるんではいられなかった。この「見合い」は成立させねばならない!
結果は上々だった。ミトゥーリチ氏の絵には人の心を和ませるやさしさと気品がある。その作品の数々に森本氏もすっかり魅せられたのだ。
二人が「相思相愛」となったのを見た私は、してやったりと小躍りしたが、仲人には次なる課題が控えていた。なにしろ、住む所も違えば、創造の分野も違う二人である。いわば、言葉の壁のある遠距離恋愛のようなものだ。その二人をどうやって結びつけるか……。

だが、仲人虫はこんなことではへこたれない。何か二人を結びつける方法があるはずだ。考えて考えて、歩きながらも、食べながらも考えた。だが、なかなか名案は浮かばなかった。半ば諦めかけたある日、眠りに落ちる瞬間に閃いた。
「芭蕉の俳句だ!!」
眠るどころではなくなった。
ロシアは日本文化に造詣の深い人が意外なほど多い国である。芭蕉の俳句も広く親しまれていて(V.マルコヴァの優れた翻訳がある)、文学畑でない人でも芭蕉の俳句のひとつやふたつは知っている。私は翌日、モスクワの東洋美術館で学芸員をしている親友のアイヌーラ・ユスーポワさんにメールを書いた。彼女も二人の芸術家の出会いに大いに興味を惹かれていたのだ。
「キーワードは芭蕉の俳句です!!」
頼もしい協力者であるアイヌーラさんが、早速ミトゥーリチ氏の許に芭蕉の句集を届けてくれた。しかし、「俳句の絵なんてとても描けないってミトゥーリチさんに言われました。でも、見るだけ見てくださいって、芭蕉の本は置いてきましたが」
そのアイヌーラさんから興奮しきったメールが届いたのは、それから三週間ほどが経ったころだった。
「ミトゥーリチさんから電話があり、芭蕉の俳句に絵をつけたから見に来ないかと言われたので、飛んでいきました。俳句を読んでいるうちに、インスピレーションがどんどん湧いてきたのだそうです。全部で17点も! 素晴らしいの一言です!」
メールには絵の画像が添えてあった。それを見て、私もアイヌーラさんに負けずに興奮した。シンプルな線のなかになんと豊かなイメージの世界が拡がっていることか。早速その写真を森本氏に届ける。今度は書家がその絵をモチーフに作品を書く番だ。


翌年の夏、森本氏が作品を携えてミトゥーリチ氏のアトリエを訪ねた。そして、同じ句につけた絵と書をがイーゼルに並べられると……ふたつはまるでひとつの魂から流れ出したように、見事な調和をみせたのだ! あの時の興奮を、私はけっして忘れない。それはまさしく至福の時であった。
まさしく出会うべくして出会った二人! 私の中で仲人虫が歓喜の歌をうたっていた。

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後日譚
芭蕉をテーマにした二人の作品展は、2002年にモスクワの東洋美術館、ロシア芸術アカデミー、日本では在大阪ロシア総領事館とリーガロイヤルホテル画廊で開かれ、大きな反響を呼びました。

書籍化もされました。日本では森本氏が編んだ『マイ・ミトゥーリチ、森本龍石 書画作品集』(2002)。ロシアで『БАСЁ (芭蕉)』が出たのはミトゥーリチさん没後の2009年でしたが、その後書きに、ミトゥーリチさんから私に宛てたやさしい感謝の言葉をみつけて、胸が熱くなりました。
「芭蕉」というテーマは両大家のお気に召したようで、幾通りもの「芭蕉」シリーズが生まれました。そして、シリーズのひとつをロシア国立プーシキン美術館が購入したのです。現代作家の作品を買うことは滅多にないといわれる世界屈指の美術館からオファーがあったというので、普段は冷静なミトゥーリチさんが相好を崩して喜んでおられた、そのお顔が今も目に浮かびます。