桑山ひろ子
中国では、「月下老人」という神がいて、赤ん坊が将来誰と結婚するかを決めて、決して切れない赤い縄で足首と足首を結び付けるという。
中国の北宋時代(960年-1127年)に作られた前漢(紀元前206年―)以来の奇談を集めた『太平広記』の中の『定婚店』に赤い縄が出てくる。
こんな話である。
唐の時代、ある男が旅先で不思議な老人に会う。聞くと老人は冥界で婚姻がきまると、現生にやってきて、決してきれない赤い縄をその男女の足首に結び付けるという。この縄が結び付けられると、距離や境遇に関わらず二人は結ばれる運命にあるというのだ。
そして、その若者の足首はその宿場町の野菜売りの貧しい老婆が育てている3歳の幼女と結ばれているという。若者は怒って、召使いにその幼女を殺すよう言いつけるが、召使いは幼女の額に傷を負わせるだけで逃げてしまう。
14年後、役人になっていた若者は上司から美しい娘を紹介される。その娘の額には刀傷があり、娘から話を聞いた若者は、娘にすべてを打ち明け、結婚して幸せに暮らしたという。
日本では「運命の赤い糸」は『古事記』(712年)の中の『三輪山伝説』に出てきている。
ある日、娘が妊娠したと突然両親に打ち明ける。両親は驚いて相手はどこのだれかと聞くが娘も知らないという。それを聞いた両親は、今度その若者が来たら寝床の前に赤土をまいておき、その人が帰るときに着物の裾に糸巻に巻いた麻糸をつけた針を刺しておくように言う。翌朝、その赤土がついた糸をたどっていくと、三輪山の神社に着いた。若者は三輪山の神様だったのだ。

中国の『赤い縄で足首が結びつけられている話』が日本に伝わった。そして、日本では、「赤土と麻糸」が赤い糸になり、約束を守るという「指切り」とつながって、赤い糸で小指と小指が結び付けられているということになった、という説があるが、どうだろうか。
ところで、『桃太郎のふるさと 立石おじさんの民話』(立石憲利 山陽新聞出版センター)に日本版『定婚店』のような話がのっている。
『夫婦の因縁』
昔、ある若者が隣村まで夜遊びに行き、帰りが遅くなったので、途中にある辻堂に泊まった。
寝ていると何やら話声がする。辻堂の神様と荒神さまが話している。よく聞いてみると、この村の五郎のところに元気な女の子が生まれたが、将来は権蔵という若者と夫婦にしようかと相談しているのだ。若者は驚いた。この村で権蔵といえば自分一人。今生まれた赤ん坊と結婚するといえば、十七八年後ではないか。それに五郎の家といえば、村一番の貧乏だ。権蔵はどうしたら結婚をしなくても済むだろうかと考えて、赤ん坊を亡き者にしようと五郎の家に忍び込み、寝ている赤子を刃物で突き刺して、その足で村を出て行った。権蔵は決まった職もなく、各地を転々としているうちにあっという間に十数年たち、30の歳を大きく超えてしまった。
権蔵は、故郷に帰って一からやり直そうと、村に帰り、まじめに働いた。そうすると、「仕事もようするし、嫁をもらえ」と世話をしてくれる人がでてきた。
若い娘で年が大きく違っていたが二人とも互いに気にいって、仲もよく、いい夫婦になった。そのうち、権蔵は嫁の太ももに大きな傷跡があるのに気がついて聞いてみると、「自分は何もおぼえとらんが、親の話によると、何者かが私を刃物で突き刺して逃げた。そのときの傷じゃ」といった。
権蔵は、嫁は自分が刺した赤子だと気づき、それからはなお一層大事にし、仲睦まじく一生暮らしたという。
神様が決められた運命には逆らうことができないということじゃ。
昔こっぷり。
だが、神様の決めたことには逆らえないとしたら、離婚するのはどういうことだろう。
台湾の民間伝承に次のようなものもある。
月下老人は、毎年七夕に七娘媽(婦女と子供の守護神)から未婚の男女の名簿をもらい、性格や趣味によって縁組帳をまとめ、その後で男女を表す泥人形を作って、組み合わせた人形の足を赤い糸で結んで「配偶堂」に収めるのが仕事だった。ところが、ある年に雨降りが続いて泥人形が乾かず、焦った月下老人が太陽が出るのを見計らって、泥人形を入れたり出したりしているうちにとうとうバラバラになってしまった。そこで仕方なく適当に決めた結果、悪縁や離婚が起こるようになった、というわけだ。
さて、私たち夫婦の山あり谷ありの結婚生活も、気がつけばもう50数年が経っているが、果たして私たちはどんな風に結ばれたのだろう。
