「We Love 遊」の連載で長年ご好評をいただいた小西すずが、「大きな木の家」にもやってきました!(編集部)
「丹波歌人」のこと 小西 すず
はじめに
京都府の北西部、由良川流域に拓けた福知山市は、人口7万人余、明智光秀によって築かれた城下町です。
古来より「丹波」と呼ばれてきたこの地に永年にわたって発刊され続けている「丹波歌人」という歌誌があります。
現在の会員数は約50名、その大半が高齢者で、30頁余りのささやかな歌誌ですが、心打たれる歌が多く、ぜひ紹介させて頂きたいと思うのです。
「丹波歌人」と私
丹波歌人の創刊は昭和33年。創設者は早川亮先生です。先生は早稲田大学出の「あららぎ」派歌人でしたが、中央での活躍を好まず、地元の高校の教壇に立つかたわら、丹波に根ざした短歌雑誌の育成に情熱を注がれました。
温厚かつ清廉な先生を慕って昭和40年代の「丹波歌人」には100名を越える会員が在籍しました。
福知山市にある早川亮先生の歌碑。
「かの日々の
我の一刻掘り出せば
土の深きに
かがよいいんか」
ちょうどその頃、福知山にほど近い舞鶴市に住んでいた私も入会して、早川先生の薫陶を受け作歌に勤しんだのでした。
その後、私は舞鶴を離れ、また早川先生も亡くなられて、「丹波歌人」と私の縁も疎らになっていました。
ところが、3年前に「丹波歌人」の歌友から、編集者の先生方がつぎつぎと亡くなって、いよいよ廃刊になるかもしれないと聞いたのです。
疎遠になっていたとはいえ「丹波歌人」は私の心の故郷です。廃刊は避けたいと強く思いました。
私は丹波歌人に復帰し、編集委員の一員となりました。そして、会員たちから寄せられる歌稿をパソコンで打ち込み、編集して印刷所へ送る作業を引き受けたのです。
私が在籍した昭和40年代と比べると会員の年令は大幅に高齢となっていました。90歳代も珍しくありません。原稿の中には筆力も弱く読みづらいものも多々あります。けれども、歌に込められた思いは強く、私の心に響きます。
今回はその最たるもの、命尽きるその日まで歌と向き合い、心に沁みる作品を遺して旅立たれたお二人の歌を紹介させていただきます。
(お断り:短歌は通常1行で書くものですが、ネット画面上での乱れを最小限にするために、啄木流?に3行書き表記にいたします)。
☆旅立つ日まで
大谷 勇
どっしりと
据わる薬液静かなり
滴一滴よ我を益せよ
看護師の郷の訛に
気の和む
丹波但馬の響き温か
半日の黄泉の国より
目覚め来て
まずは確かむ妻と我が足
「生きる日はボーナスです」と
息子言う
先ずは日記に今年の抱負
歩道敷割れ目に咲きし
仏の座
踏まれて曲がり起き上がり立つ
この十年野山歩きを支え居る
イタドリの杖
優しく柔らか
(2022年10月号より転載)
この一連の歌が歌誌に載ったのは、詠み手の大谷さんが85歳で他界された後のことでした。
余命短きを覚り、黄泉の国を行きつ戻りつする入院生活の中でも、柔和な心とユーモアを保ちつづけ、日記に今年の抱負を書く前向きな姿勢。
辞世の歌となったこの6首には、大谷さんのお人柄が滲み出ています。
重篤な病床にありながらも、ちゃんと締め切りに間に合うように歌を送ってこられた大谷さん。おまけに、ご家族に頼んで向こう一年分の会費まで振り込んで下さっていたのです。
何と天晴れなご最期!
大切な歌友の訃報を深く悲しみつつも、私は心の中で畏敬とともに羨望すら感じたのでした。
☆ひとにぎりの雪
井上 久恵
枯芒窓辺にあわき影をさす
炬燵にまどろむ
吾の憩い場
夕映えの庭のあわあわ
影おとす
灯籠下の万年青がひとつ
喘ぎつつ農に生ききし七十年
手のひらかざせば
思いあふるる
ひとにぎりの雪となりたる
雪だるま
ホームの庭に小雨降りつぐ
裏山の湧く霧まとう杉木立
朝の日差しに
メルヘンの界
枯草のあわいにいまだ
雪ありて
春の届かぬ山すその道
雨止みて花の雫をまろばせる
ふれ合う風の
音のやさしさ
(2023年10月号より転載)
井上さんはこの7首を遺して92歳で亡くなられました。
遺詠となったこれらの歌からは、作者の静かに透んだ思いが伝わってきます。
人生の最後を、自然を見つめ自然と融け合って暮らして居られたのでしょう
90歳を過ぎてからもしっかりとした筆跡で歌稿を送ってこられる作者でした。
しもやけに膨れた右手
暖めて
四Bで書く昨日の日記
というお歌も以前に拝見していたので、しっかりした筆跡は四Bに力を込めて書かれる賜なのだと、その気力にも拍手を送っていたのです。
一年前に、施設に入居されたと伺った時にも、リハビリなどを受けながら、ますますご健詠くださることと思っていましたのに、
ひとにぎりの雪となりたる
雪だるま
ホームの庭に小雨降りつぐ
このお歌さながらに、雪だるまとともに消えてしまわれました。
農に生き、歌に生きられた92年。精一杯、誠実に生きられた井上さんだからこその静謐なこの終焉。
命果つる日まで、歌とともに生きることの素晴らしさを、身をもって示して下さったことに、心より感謝しご冥福を祈っています。