ひらかたゆ…(「We Love 遊」6号より)

このエッセイを書いたのは、今から四半世紀も前の1999年末、「ミレニアム」を控えたころでした。私は当時50歳になったばかり。なんだか気恥ずかしい思いがする「大昔のエッセイ」ですが、私の名前の由来についてです。

「ゆらかたゆ……」
  2000年1月1日発刊「We Love遊」より

チェーホフの戯曲『三人姉妹』の中に「お茶もないようだし、ひとつ哲学でもぶちますか」という台詞がある。お茶が欲しい、朝から何も食べていない、今お茶を一杯飲むためなら命を半分投げ出したっていい、そんな状況にある男の諦めのこもった台詞である。そうして彼は人類の未来についての想いを語り始めるのだが、これを聞くたびに私は「ロシア的だなぁ」と思う。こういう状況下で「哲学すること」が、である。(ここで言う哲学とはカントだショウペンハウエルだという難しいことではない。日常の些事から離れて広く世界を考える、というくらいに意味だ。)日本人だったら、哲学をするヒマにお茶を探しにいくだろう…。この辺の国民気質がロシアの社会の混乱を慢性的なものにしているという気もするが、ロシア気質の分析は今回のテーマではないので、ここでは深く追求しない。私が言いたいのは「哲学的気分」のほうである。

実は、私もこのところいささか哲学的気分にひたっている。なにしろ千年に一度の目出度げな新春だ。巷でも過去を振り返り未来を展望し、ミレニアムグッズを売り出して、いつになく「哲学する」ムードに満ちている。おまけについ先日私は50歳になったのだ。ミレニアムほどの迫力はないけれど、「人生50年」の節目ともなれば、過ぎにし方を振り返る気分にもなろうというもの。そして私の人生の方向は、どうやら「ふえ」と名づけられた時に決まったような気がするのである。

「ふえ」という名前の人を私は他に知らない。昔、少女小説のなかで一度だけ「笛子」という少女にでくわしたが、現実には、おそらく私はこの世でたった一人の「ふえ」だろう。いつだったか、ある商売人さんに、「奥さん、変わった名前やねぇ。親御さんはきっと、お金がふえてほしいと思てつけはったんやろうねぇ」と真顔で言われて仰天したことがあったが、私のふえは「増え」ではない。「笛」なのだ。

名づけたのは父である。そしてその命名には、我が家の歴史と、古代の歴史が絡んでいる。
長年台湾に住んでいた私の家族が終戦とともに引き揚げてきて、滋賀県の大津に移り住んだのは、1948年のこと。それまで縁のなかった滋賀県に来たのは、父が奉職していた旧制台北高等学校の校長だった作家・下村湖人氏の紹介だった。
さて、敗戦の果てに海を越えて近江の地までたどりついた己が運命を思うときに、国文学者だった父の脳裏に浮かび上がる歌があった。「日本書紀」継体天皇の三十四条―。

枚方ゆ 笛吹きのぼる近江のや
 毛野(けな)の若子(わくご)い 笛吹きのぼる

歴史のおさらいになるが、大陸進出を図る大和朝廷は4世紀ごろから百済と結んで新羅出兵をくりかえしていた。528年、継体天皇は新羅に奪われた任那(朝鮮半島の先端部)奪回のため、近江の豪族毛野臣(けなのおみ)を大軍と共に派遣する。毛野臣は後日、大陸からの帰路の対馬で没した。
…彼の亡骸が運ばれていく。海路から淀川に入って、やがて枚方を過ぎていく。一族の若者の吹く弔いの笛が風にのって流れる…。上記の歌は枚方まで夫の亡骸を迎えに行った妻の嘆きの歌だ。
「この敗戦恋歌には決して不吉ではない美しさがあると思います」と、父は友人宛の手紙に書いた。そして近江の地で生まれた娘を「ふえ」と名づけた。

やがて赤ん坊は成長して、鼻っ柱の強い娘になった。かなりのじゃじゃ馬だったが、馴らしてやろうというこれまた鼻っ柱の強い若者が現れて、二人は結婚することになった。身内だけのささやかな宴を催したとき、父が私の名前の由来を説明して、言った。
「枚方ゆ(から)…の歌に因んで名づけた娘が、今その流れをさかのぼって源流の枚方に嫁ぐことになったのも、そういうご縁だったのでしょう…。」

若さは傲慢であり、迂闊でもある。父のこの言葉を、私は言葉の綾として聞き流した。自分の運命は自分の手で開くもの、名前なんか関係ないと思っていたから。しかし、自分もまた人の子の親となり、様々な思いを重ねて生きるうちに、あの時の父の言葉が心の中に蘇るようになった。娘の幸せを願って名づけた父の愛情が不思議な力をうみだして、私はその大きな力に包まれて生きている、と。

枚方での生活が順風満帆だったというのではない。すべてを放りだして逃げ出しても不思議のない時期が私の人生には何度もあった。でも、私は逃げなかった。自分が居るべき場所にいて、会うべき人とめぐり会ってこうして暮らしているのだと、信じることができたから。

枚方市役所の近くにひとつの石碑がたっている。その碑に刻まれているのは「ひらかたゆ 笛吹きのぼる…」の歌。実はこの歌は、日本史の記録の上に初めて「ひらかた」という地名が登場する、枚方市にとっては記念すべき歌なのだ。
私はひそかに「枚方市名誉市民」を自認している。

枚方市役所の前にある「ひらかたゆ……」の碑

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