マルク・シャガール「私の人生」第2章

マルク・シャガール「私の人生」~両親、妻、故郷の町へ
第2章

角 伸明 訳

   父と母。1910年代。紙、墨

夢で母のお墓を見た時やふと今日が母の命日であることを思い出した時、私の胸はいつも締め付けられる。
まるであなたに会っているような気持になるのです、母さん。
あなたはおぼつかない足取りでゆっくり私の方に歩いてくるので、思わず手を貸したくなります。そして、私と同じように微笑むのです。それは、その笑顔は私とそっくりの笑顔です。

母はリョズノ(訳者注:ヴィテプスク市内から40キロ離れた村)で生まれた。リョズノで私は司祭の家、家の前の柵、柵の前にいる豚たちを描いた。

家の主人はロシア正教の司祭だったか、あるいはそうではなかったかもしれないが、胸には十字架が光っていて、私に微笑みかけ、すぐに私に十字を切ろうとする。彼は歩きながら太ももをさする。豚たちが犬のように、彼に向かって走ってくる。

母は祖父の末娘だった。祖父は人生の半分を暖炉の上で過ごし、4分の1をシナゴーグで、残りの時間を肉屋の店で過ごした。祖母は彼の怠惰に耐えられず、とても若いうちに亡くなった。
すると、祖父は活気づいた。まるで興奮した雌牛や子牛のように。

母さんが不細工でチビだったというのは本当だろうか?
父はろくに見もしないで結婚したと言われているが、いや、そんなことはない。
母には話術の才能があった。それは町外れの貧しい地域では非常に珍しいことだった。私たちは母の才能を知っていて、素晴らしいと思っていた。
しかし、今母を褒めてもいったい何の意味があるというのか? 母はもうとっくに亡くなっているのに! それに、何を話せばいいんだ?

ポクロフスカヤ通りの家と商店。1922-1923. 紙、銅版画、ニードル・ドライポイント

話なんかするより、泣きたいのに。私は墓地の門へ引き寄せられ、炎よりも雲よりも軽々と駆けて行って、おもいっきり泣くのだ。

眼下には川が流れ、どこか遠くに橋があり、私の目の前には村の墓地、永遠の安息の地、墓がある。
ここに私の魂がある。ここで私を見つけて下さい。そこに私が、私の絵が、私のルーツがある。悲しみ、私の悲しみが!

まあ、これが母の肖像です。
あるいは私の肖像でもある。どちらでもいい。これは私ではないのか? 私は何者なのだろう?
有り余るほどの悲しみ、若白髪、涙の棲家だった目、魂はほぼ無感覚で、知性はほとんど働いていなかった。

では、彼女は何が出来たのか?
母は家事を切り盛りし、父親に指図し、絶えず小屋作りや増築を思いつき、食料品店を開き、一銭も払わずにつけで馬車一台ほどの商品を仕入れていた。母は店の扉やテーブルの前で、こわばった笑顔を浮かべて長時間座っていた。話し相手がいなくて気がふさぎ、誰か近所の人が店に立ち寄って、気晴らしてくれないだろうかとじりじりして待っていたのである。その様子をどんな言葉で伝えたらいいのか難しい。

毎晩、店が閉まり、子供たちが通りから駆け戻って来ると、家は静かになった。父は背中を丸めてテーブルにつき、ランプの火は動きを止め、椅子はかしこまって音を立てず、外にも人の気配はしなかった。この世界にまだ空はあるのだろうか?  自然はどこに消えてしまったのか?  これはすべて、私たちが音を立てないようにしていたからではなく、ただ頭がぼーっとして来たからだった。母は片手をテーブルに、もう片方をお腹に当てて暖炉のそばに座っていた。
ピンで高々と盛り上げられた髪が母の頭を飾っていた。
「みんな眠り込んでしまって。まったく、うちの子たちときたら!話し相手もいない」とでも言っているように、防水クロスをかけたテーブルを母は何度も指でコツコツ叩いていた。

母はお喋りが大好きだった。上手に言葉を選んで、あまりに見事に言葉を操るので、話し相手はびっくりし、あっけにとられて微笑むのだった。
姿勢を変えず、ほとんど口もあけず、唇も動かさず、尖った髪型の頭を動かさず、女王様のような威厳を持って、母はおごそかに話したり、問いかけたり、黙っていたりした。
けれど、そばに誰もいなかった。私だけが彼女の話を上の空で聞いていた。
「ねえお前、私に何か話しておくれよ」と彼女は言った。
私はまだ小さな子供で、彼女は女王様なのに、私たちは何を話したらいいのだろう?
指が腹立たしげにますます速くテーブルをコツコツと叩く。
そして家は重苦しさに包まれて行った。

安息日の前夜の金曜日の夕方、お祈りの途中のいつも同じところで、父が眠りこけてしまう瞬間が必ずあった。(お父さん、僕はあなたの前で跪いているのに!) その時母は悲しげな目をして八人の子供たちに言ったものだ。「さあ、お前たち、ラビの歌を歌うのよ、私を助けておくれ!」
子供たちは歌い始めるが、やはりすぐに眠りこんでいた。母は泣き出し、私は愚痴をこぼしたものだった。
「ああ、まただ、もう二度と歌うもんか」

私のすべての才能は彼女の中に、私の母の中に隠れていたもので、知的能力は別だが、母のその他のすべての才能は私に受け継がれたと言いたい。
ほら、母が私の部屋のドアに近づいてくる。(ヤヴィッチの家の、中庭に面したドア)。
彼女はノックしながら尋ねる。
「ねえ、家にいるのかい? 何してるの? ベラは来たのかい? お腹はすいてないかい?」

「母さん、これ見て、どう 気に入った?」
母は何とも言えない目付きで私の絵を見る!
僕は判決を待つ。そして、ついに母がゆっくり口を開く。
「もちろん、お前には才能があるってわかっているよ。でも、よくお聞き。それでもやっぱり、多分お前は商人になったほうがいいよ。 私はお前がかわいそうだよ。そんな小さな肩をして。なんだってこんな不幸(訳者注:ユダヤ人なのに画家になりたいという息子がいること)が私たちに降りかかってくるんだろうね」

母は私たち子供にとってだけの母親だったのでなく、彼女の姉妹たちにとっても母親だった。姉妹の誰かが結婚しようとするとき、ふさわしい相手かどうかを決めたのは母だった。相手について調査し、詳しく尋ね、長所と欠点を計りに掛けた。相手が別の町に住んでいれば、そこまで行って住所を聞き出し、相手の家の向いにある店に入って色々と訊ねるのだった。夕方になると相手の家の窓から家の中を覗こうとさえした。

母が亡くなってからどれほどの月日が経ったことか!
母さん、今どこにいるの? 天国?それともこの世にいるの? 僕はここにいるよ、あなたから遠く離れている所に。 母のもっと近くにいられたら、ずっと気が楽なのに……せめてお墓を見たり、触ったりできたらいいのに。

ああ、母さん! 僕はお祈りの仕方を忘れてしまい、泣くこともだんだんまれになってきました。でも、僕の魂は母さんと僕のことを覚えていて、悲しい思いが頭をよぎるのです。
母さんに僕のために祈ってくださいとお願いしているのではありません。僕がどれほどの悲しみに遭う運命にあるか、あなた自身が知っているはずだから。ねえ母さん、僕の愛は、あなたが今いる場所で、あの世や天国や天上界であなたを慰めているでしょうか?
僕の言葉は母さんに届いて、あなたを優しく穏やかに包んでいるでしょうか?

 

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