『私と村』(1911年)の世界
季刊冊子「We Love 遊」88号掲載
シャガールは23歳の時(1910年夏)にパリに留学する機会を得ます。貧乏だったシャガールがパリ留学できたのは、パトロンが現れたからです。ユダヤ人で初めてロシアの国会議員になった弁護士で大金持ちのマックス・モイセーヴィッチ・ヴィナヴェルが、シャガールの才能を認めて援助を申し出てくれたのです。月額40ルーブルの奨学金をリヨン銀行を通じて送る約束をしてくれました。恋人ベラをヴィテプスクに残して行くのが気がかりでしたが、パリ行きを切望していたシャガールは勇んで出かけて行き、1910年8月から1914年6月までパリで制作活動をしました。
パリに到着した当初はカルチャーショックを受けてホームシックに襲われました。「故郷とパリがこれほど遠く隔たってなければ、すぐにでも、あるいは1週間か1ヶ月後に帰っただろう」(『私の人生』)と書いています。しかし、ルーブル美術館で大きな刺激を受けてホームシックを克服すると、その後は水を得た魚のように作品を制作し始めました。約4年間いたパリで制作された作品は、極めて個性的で面白いものばかりです。
今回は『私と村』(1911年)を取り上げます。

この作品は、具象画ですが写実的な作品ではないことがすぐに分かります。画面を円や三角形で分割するキュービズムの手法も取り入れられていることも分かります。キュービズムはその当時パリで流行っていた最新の手法でした。
見つめ合っている牛と私の顔が左右に大きく描かれ、牛と私の顔の間に村の風景が置かれている大胆な構図になっています。この村はロシアの村です。なぜならドーム式の屋根のあるロシア正教の教会があるからです。教会の中には人の顔が描かれています。
この人物はロシア正教の神父です。それは帽子の形から分かります。黒い円筒形の帽子です。また鎌を肩に掛けた農夫は、被っている帽子からユダヤ人男性であることが分かります。信心深いユダヤ人男性は、頭上に神がいることを意識し、神に崇敬の念を表すために最低限度の服装として、常に頭にキッパという小さな帽子を被ります。 鎌を持った農夫もキッパを被っています。〈私〉も帽子を被っていますが、それは、ユダヤ人の庶民階層の男性が普段被っている帽子だと言うことが、『ロシアの婚礼』(下図)を見れば分かります。

そして、シャガールは自分が庶民階層に生まれたことを誇りに思っていました。「私は大地から生まれた芸術を渇望していた。頭から生まれた芸術ではなく大地から生まれた芸術を。幸いにも私は民衆階層に生まれた」(『芸術家の使命』シャガール)。人物が何者であるかを示す印として、帽子が上手く使われています。そして、以上のことから絵に描かれているのはロシア帝国領内のユダヤ人居住地域の村であることが分かります。
では次に、大きく描かれている牛と〈私〉に注目して見ましょう。牛と私の目の間に点線が引かれています。この目と目を繋いでいる点線は、私と牛が目で会話をしていることを表しているものだと思います。シャガールはこんなことを言っています。
「私は馬や牛やロバを祖父の村リョズノで見ました。馬や鳥たちの中にいる私は彼らの兄弟であり、泣いている息子でした。私は動物と相性がいいのです。私はいつも彼らの眼差しや合図を求めています。私の遠い少年時代の雌牛は、母が私のために乳を搾ってくれた雌牛は、私の涙が埋められているあの土地で眠っています。私の絵はをあの雌牛を写したものなのです。……私達はお喋りをし、歌い、大声で話します。私には聞こえます。我々には理解できないある真実が、過酷な真実が、広く開いた彼らの口から出てくるのが。彼らは、自分たちの世界の秘密やその監禁生活について語っています。」(石版画集『サーカス』1960年)
そこで、〈私〉と牛の位置関係に注目して見ましょう。牛の目の方が私の目より若干高い所にあり、私が牛の目を見上げる関係になっています。そして、私は牛を見上げながら、手に花を持って、生命の花と言われていますが、その花を牛に捧げているように見えます。なぜ、私が牛に花を捧げているのかは、実は牛の頬に描かれています。牛の頬には山羊の乳を搾っている女性が描かれていますが、これは牛や山羊などの動物は、人間のために自分たちの乳や肉を提供してくれる存在だと言うことを表しています。絵の中の私は、そのような動物たちに生命の花を捧げて感謝をしているのです。
シャガールは『私と村』をパリの「ラ・リューシュ」(「蜂の巣」と言う意味)と言う集合アトリエ兼住宅で制作しました。「ラ・リューシュ」の隣には、パリ市の家畜屠殺場があったのです。そこからは殺される家畜の叫び声が毎日聞こえて来ていました。シャガールはその叫び声を聞きながら『私と村』を制作したのです。『私と村』の中には故郷の牛とパリ市の家畜屠殺場で殺されている牛が描かれていると言っても良いと思います。
次に、逆さまに描かれているように見える女性を見て下さい。手元にある本の解説を見ると、「上方の男女のイメージは豊饒を象徴する女が鎌(死の象徴)をもった農夫に追われているように見える」(ダニエル・マルシェッソー)、「農夫と妻がさかさまになった夢の世界のドラマを演じる」(ジル・ホロンスキー)と書かれていますが、実はこの女性は逆立ちしている訳ではありません。女性の足元を見て下さい。足元に描かれている二軒の家も逆さに描かれています。この絵を逆さにして見れば、この女性は地面の上に普通に立っていることが分かります。なぜシャガールはこのような描き方をしたのか? それは、女性を農夫に近づけて、二人を一組の夫婦として描きたかったからです。女性が立っている場所は村の中にある家の前です。鎌を持った男性が歩いている何もない場所は畑の中です。労働を終えた男性が家に帰ってきているのを、妻である女性が出迎えている日常風景が描かれていると考えます。遠近法を無視した自由自在な描き方です。
シャガールはどうやってこのような自由自在な描き方を思いついたのでしょうか? その答えもこの絵の中に描かれています。大きく描かれている〈私〉の首と指を見て下さい。首には十字架が下げられています。そして、指には指輪が嵌められていますが、指輪の飾りはダビデの星です。〈私〉はキリスト教の象徴とユダヤ教の象徴を身につけていることになります。そのことがシャガールの自由自在な描き方の源泉を物語っています。