片山ふえ
『トゥーランドット』。
フィギュアスケートのBGMなどですっかりその名がポピュラーになったプッチーニのこのオペラは、今年で初演からちょうど百年目を迎えるという。
折しも、今号発刊直後の1月17日には、キーウからウクライナ国立歌劇場が大阪にやって来て、この歌劇を上演する。

キーウのトゥーランドットと聞いたとき、私の脳裏にうかぶソプラノ歌手がいる。エレーナ・グレベニューク Елена Гребенюк。当たり役として名をはせた歌手ではない。「未来のトゥーランドット」と目されながら、なれなかった人なのだ。
「エレーナ・グレベニュークこそ、待ち望んでいたトゥーランドット歌手だ!」、そう嬉しそうに私に話したのは、ウクライナ国立歌劇場の指揮者だったオレク・リャーボフ Олег Рябов(1932-1996)だった。突然の死の前年だったと思う。
ウクライナが私にとって特別な国になる切っ掛けとなったリャーボフ氏のことは、拙著『オリガと巨匠たち』に詳しく書いたので(p.267~)ここでは繰り返さないが、オペラとバレエ音楽をレパートリーとしていた彼は、『トゥーランドット』が大好きだった。
「プッチーニは、晩年のスランプや闘病の中であのオペラを書いたんだよ。だのに、あの音楽の明るさはどうだ! 人間愛にあふれているじゃないか!」
そんな彼の夢は、キーウの歌劇場で『トゥーランドット』を指揮すること。当時、まだこのオペラはウクライナの歌劇場の上演レパートリーにはなかった(と、彼は言っていた)。
「だが残念なことに、トゥーランドット役を歌えるソプラノがいないんだ。リュー役はいるんだが……」
歌劇『トゥーランドット』にはソプラノが二人登場する。愛する主人の恋を成就させるために自分の命をなげうつ健気な女奴隷リューはやさしいリリックな声、一方自分の美貌を武器に求婚者たちを殺しまくる冷酷なトゥーランドット姫には強靱でドラマティックな声が要求される。そのドラマティック・ソプラノがキーウの劇場にはいないというのだ。
ところがあるとき、嘱望していた歌手が見つかりそうだと、リャーボフ氏が手紙に書いてきた。彼の妻のクラウディア・ラドチェンコ Клавдия Радченко は国立歌劇場のスター・ソプラノ歌手で(つまり二人は「職場結婚」)、国立音楽院の教授でもあった。彼女は幾人ものスター歌手を育てたが、弟子の一人のエレーナ・グレベニュークは、リャーボフ氏の言葉を借りれば「大物歌手の器のドラマティック・ソプラノ」だという。「ついにトゥーランドットが見つかった!!」と彼は文字はおどっていた(メールのない時代の、文通です)。

ところが、それから数ヶ月後に、彼は心臓発作で急逝してしまったのだ。
そしてクラウディアも、最愛の夫の1周忌を済ませると、あっと言う間に夫の後を追った。友人たちの話では、オレク亡きあとのクラウディアは生きる張りを失い、徐々に衰弱していったという。
この訃報をキーウから私に届けてくれたのが、夫妻の親友で皆さんにもお馴染みの(と思います)画家オリガ・ペトローワと、クラウディアの愛弟子エレーナ・グレベニュークだった。1997年のことである。
それからの数年、私は人生に押し寄せた大波や小波のせいで忙しく、キーウとも疎遠になっていたが、家に出来た広間で「ムーザサロン・コンサート」を始めた2003年に、ふと思い出した。
「あの“未来のトゥーランドット姫”はどうしているかしら? キーウの歌劇場で『トゥーランドット』が上演され、もしもエレーナがその主役を歌っていたら、地下のリャーボフ夫妻はさぞやお喜びだろう……」
エレーナのアドレスは知っていたから、私は彼女に近況をたずねるメールを書いた。
返事はすぐ来た。だが、それは期待した朗報ではなかった。彼女は2001年に国立歌劇場のソリストになったものの、これという大きな役にはついていないという。
「クラウディア先生という後ろ盾を失ったことは、キャリアの上でも大きな打撃でした……」と彼女は書いていた。クラウディア亡き後、他の先生に師事したものの、そこでは所詮「外様」でしかなかったようだ。やはり学閥が物を言う世界なのか。
リャーボフ夫妻の無念が伝わってくる気がして、私は何かできないだろうかと考え始めた。そして、まずは彼女の歌の入ったカセットを送ってもらうことにした。彼女の歌唱力を知りたい……。
私は音楽のド素人だが、子どもの頃からオペラを夢中で聴いてきたから、歌の良し悪しは分かる。エレーナが歌うアリアの数々を聴いて、私は心底感動した。なんと深々とした響きだろう。「ビロードのような声」という表現があるが、エレーナの声は陰翳のある深紅のビロードだ。そして表現力の豊かさ、確かさ! イタリア・オペラのアリアも、ロシアのレパートリーも(と書きながら、当時はウクライナ人もロシアものを歌ったのだと、世界情勢の変化を感じる)、彼女は実に見事に歌っていた。流石、リャーボフ夫妻の自慢の弟子!
私はすっかり嬉しくなって、オペラ通の知り合い達にこのテープをダビングして配った。反響は上々だった。世界の歌劇場を聴き歩いた人たちも「これは是非聴いてみたい歌手だ!」と言ってくれた。
私の中にGOサインが点った!
私はエレーナの日本公演の企画に乗り出した。頭にあったのは、子供のころに知ったあるエピソード。1959年にNHKが招聘したイタリア歌劇団の『オテロ』公演で、当時全く無名だったソプラノ歌手ガブリエラ・トゥッチがスーパースター、マリオ・デル・モナコ相手に健闘し、それが本国に伝わって、スカラ座デビューに繋がったという逸話だった。もちろんスケールは比べるべくもないが、日本のコンサートの成功が、エレーナの本国での追い風になったら嬉しい!
そのためには、小さなムーザサロンでは意味がない。私は500席のメイ・シアターを予約した。無名の歌手がホールを一杯にするのは至難の業だ。だが奇しくもその時、キーウに行くという日本のアマチュア合唱団が現地の音楽家との交流を繋いで欲しいと私に連絡してきた。これぞ天啓! 私は嬉々として彼らがキーウでエレーナと共演できるように段取った。キーウで共演するシューベルトの「アルトと男性合唱のための小夜曲」は、大阪のメイ・シアターでも歌われることになる。そして、50名を超える合唱団員がチケット販売に協力して下さるという訳だ。

名古屋公演を取り付けるために、名古屋のエイジェントからのオファーをムーザサロンで受け入れもした。(この時バーターで迎えたのがロシアのバリトン歌手ピョートル・リャーギン氏で、これまた奇しき廻り合わせだったのだが、今回はその話ではない)。
エレーナのテープを聴いて「是非聴いてみたい!」と言ったオペラ通が、オペラ仲間だという毎日新聞の文化担当記者を紹介してくださり、その記者もエレーナの歌に「大型新人との出会い」を感じて、大きく取り上げてくださった。「豊かで深い声質と、しなやかな感情表現が持ち味で、将来はドラマティックソプラノの難役への挑戦が期待される……」(毎日新聞記事より)。
かくして、エレーナの日本デビューの準備は着々と進んでいった。
2005年5月、エレーナ・グレベニュークがついに日本にやって来た。大輪の牡丹のようなチャーミングな女性だった。

伴奏を引き受けてくださったピアニスト高橋周子さんを我が家に迎え、初めてのリハーサルの日、私は朝から胸の高鳴りを押さえることができなかった。あの声が、あの歌が、私の家に響くのだ!!
だが……
歌劇『運命の力』のアリアを歌い始めたエレーナの声は、何度も何度も聴いたカセットテープの歌とはまるで違っていた。心に届く深々とした響きが、平板なものになってしまっていたのだ!!!
「エレーナ、あなたカセットに録音した後で、発声法を変えたの?」と思わず尋ねた。
「はい」と彼女は言った。「前の発声法は変えたほうがいいと、今の先生に言われて……」
彼女は、自分がどれほど大きなものを失ったのか、どうやら分かっていないようだった。自分の本当の声は聞こえないのか……?
声楽は微妙なもののようだ。脚光を浴び将来を嘱望された逸材が、良いヴォイス・トレーナーに恵まれなかったために声を潰した、という例は珍しくないらしい。それにしても、エレーナに「トゥーランドット」の期待を寄せたリャーボフ夫妻を思うと、そして、失われた「深紅のビロードの声」を思うと、なんとも無念である。
エレーナの日本公演は、合唱団のお陰もあって、興行的にも黒字だったし、なんと言っても彼女はプロの貫禄と実力を発揮したので、4会場(大阪、枚方、名古屋、京都)ともみな好評のうちに終わった。ただ、私のようにワクワクしながら新しいスター歌手との出会いを待っていたオペラ通たちの期待には応えられず、話題にならないまま終わってしまったのだ。


日本での成功をバネに本国でも……という私の願いは叶わなかったが、帰国後に彼女が主演したビデオクリップ(ヴェルディの歌劇『運命の力』をモチーフにしたもの)がチェコで開かれたビデオクリップ国際大会で優秀賞を受け、彼女はキーウで一躍売れっ子になったというから、もしかしたら、日本公演が彼女に新しい運を開いたのかも知れない。
その後エレーナとはしばらく連絡が途絶えていたが、2022年ロシアのウクライナ侵略の際に彼女のことが心配になり、久しぶりにメールを書いた。すると元気な返事が返ってきた。添付されたビデオを見ると、彼女はウクライナの抵抗の歌「赤いカリーナは草原にОй у лузі червона калина」を広場の人々を先導しながら元気いっぱいに歌っていた。
さて、今回大阪で上演されるウクライナ国立歌劇場のトゥーランドット姫はどんな歌手だろう。エレーナでないのは残念だが、爆弾が降り注ぐ中で意気軒昂に演奏活動を続けている歌劇団の皆さんには、心からの拍手を送ろうと思っている。
2026年1月13日記

後日譚
(2026年1月17日 『トゥーランドット』観劇後の感激)
上記の拙文の終わりに、私は「爆弾が降り注ぐ中で意気軒昂に演奏活動を続けている歌劇団の皆さんに心からの拍手を送ろうと思っている」と書いた。
そう思って今日劇場に足を運んだのは、どうやら私だけではなかったようだ。
戦時下で演奏のレベルが保てないのでは…という心配は、まったくの杞憂だった。「これぞトゥーランドット!」という強靭で輝かしいソプラノ(オクサーナ・クラマレヴァ)を始めどの歌手も立派だったし、指揮もオケも合唱も舞台も……どれもオペラのだいご味を堪能させたくれた。
そして観客たちはそれに熱狂的に応えたのだ。愛をたたえる大合唱で「トゥーランドット」の幕が閉じたとき、どよめくように沸き起こった拍手。そして、やがて次々に観客が立ち上がり、会場全体が(少なくとも、私がいた1階席は全員が)立ち上がって、熱い拍手を送り続けた。
大ホールが総立ちのスタンディングオベーションなんて、クラシック界では稀有な現象ではないだろうか。
ウクライナの歌劇団の人たちも、きっと大阪の観客の熱い応援に励まされたことと思う。
