3)三上山の大ムカデ(百足)退治伝説

桑山 ひろ子
~生まれ育った滋賀県や、現在住んでいる岡山県の伝承を訪ねてみました~

故郷を離れて半世紀以上経つというのに、いまだに「滋賀」「近江」と目にしたり耳にすると、「お!」と立ち止まってしまう。
本稿の1回目で、総社市無形民俗文化財60編の中の「草津の姥餅」を紹介したが、またまた「近江」を発見した!

総社市は岡山県の中南部、岡山市の西にある。かつての吉備国の中心地域で、桃太郎伝説のモデルになった吉備津彦と、鬼城山(きのじょうやま)を居城として悪事を重ねる温羅(うら)の戦いの伝説が残っており(本稿第2回参照)、雪舟の生誕地としても知られている緑の多い町である。
その総社市無形民俗文化財60編の中の夏編に「ムカデ退治」(出典『まるごと吉備路』 総社市の民話・ 平成21年刊 ・立石憲利著)がある。これは近江の三上山の「大ムカデ退治」のパロディになっている。
こんな話だ。

昔々、ある村に大量のムカデが出て困っておった。ある日、外で大きなガサゴソという音が聞こえてきたので、不審に思って出てみると、大きなムカデが山を何重にもとりまいておった。これはどうにも手におえんということで村人たちが頭を悩ませておると、一人が「聞くところによると、近江の三上山(みかみやま)を取り巻いておった大ムカデを退治した人がおるそうな。その人を呼んできて退治してもらおう」というので、さっそく大ムカデを退治した俵藤太(たわらとうた)を呼んできた。俵藤太は話を聞くと快く承知して、さっそく頭に鉢巻きをきりりとしめて手ぶらで出かけて行ったが、しばらくすると「退治したぞ!」とにこにこして帰ってきた。村人が不審に思ってどうやって退治したのかと聞くと、「大ムカデは山を七巻き半しておったが、わしは鉢(八)巻きじゃったから勝ったんじゃ!」と言ったそうな。

さて、ここで出てくる「近江の三上山」は、別名「近江富士」とも呼ばれ、432メートルの山である。

子供のころ、学校や町内会など何かとバス旅行が多かったのだが、国道8号線の三上山付近を通ると、バスガイドさんが必ず俵藤太(たわらとうた)のムカデ退治の話をしたので、いつの間にか「ああ、あれか」と覚えてしまった。
あらためてネットで調べてみると、三上山の『大ムカデ退治』にはいくつかの説があって多少の違いがあるが、大筋はつぎのようになっている。

時は10世紀前半の平安時代、場所は瀬田の唐橋。
三上山を七巻き半している大ムカデが琵琶湖に住む龍を次々に襲い、龍一族はこのままでは子孫繁栄が危ぶまれると憂慮していた。
そこで、大ムカデを退治してくれる勇者をさがそうと、龍が大蛇に化けて瀬田の唐橋の真ん中でとぐろを巻いて通行の邪魔をし、自分に立ち向かって来る者を待ち受けていた。そこへ藤原秀郷(俵藤太)が通りかかり大蛇を一跨ぎすると、何事もなかったかのように通り過ぎた。
龍は、この人こそ真の勇者だと思い、三上山の大ムカデ退治を依頼する。秀郷は自慢の矢をもって退治に向かうが、何本もの矢を放ってもすべて失敗する。最後の一本になったとき、自分のつばをつけて放つと見事大ムカデの眉間に命中し、退治する。

その後、大ムカデ退治の礼として、龍から裁っても裁ってもなくならない絹織物一反、食べても食べてもなくならない米俵一俵と、美しい音色の釣鐘をもらう。反物と米俵は自分で使い、釣鐘は三井寺に奉納した。

話によっては、秀郷にムカデ退治を依頼する龍の化身が美女であったり、老翁であったりする。また、矢が3本であったり、100本であったりするが、最後の1本でしとめるところは同じである。
退治のお礼として受け取る絹織物と米俵でその後子々孫々裕福に暮らしたという話もあれば、家に持ち帰ったところ、反物も米も必ず少しずつ残さなければならないことを知らない女房が全部使いきって、なくなってしまったという話もある。その他に刀や鎧なども受け取ったという説もある。藤原秀郷が俵藤太と呼ばれているのはこの話の俵からきているとも言われる。

こう話してくると藤原秀郷は近江の人のように思えるが、実は関東武士、栃木の人で、のちに平将門討伐でも名を成している。大ムカデ退治は、短期間の大津在住のおり、たまたま瀬田の唐橋を通りかかったときのことであるという。この話は室町時代に成立した『太平記』十五巻(1336年)が初出とされている。

江戸中期「絵入り太平記」より  ムカデに立ち向かう俵藤太

ちなみに、三井寺に奉納された釣鐘は300年ほど後に弁慶によって比叡山に持ち出されたが、現在は弁慶の引きずり鐘として三井寺に奉安されており、撞かれることはない。

歌川国芳『弁慶の引きずり鐘』

今も釣鐘堂で音を響かせているのは1602年に鋳造された2代目である。民話『蛇女房』に出てくる三井寺の鐘はこちらの方だという。

話が横道にそれてしまったが、民話というもの、どこまでが本当でどこからが作り話であるのやら、それもまた夢があっておもしろい。

コメントを残す