片山ふえ
ひらかたゆ 笛吹きのぼる近江のや
毛野(けな)のわくごい
笛吹きのぼる
日本書紀に出てくるこの古歌が、私の「ふえ」という名前の源であることは、「We Love遊」に書いたことが2度あるので、覚えていてくださる方があるかもしれません。
(6号に掲載した「ひらかたゆ……」はこちらでご覧いただけます)。
実は先ごろウクライナのキーウで一冊の日本紀行文が出版されました。その本の題名は “Японія. З хіракати під голос флейти… “これを訳すと、なんと『日本 / 枚方ゆ笛ふきのぼる……』なのです!
これが表紙です。
(平仮名表記と漢字交じりの両方で書かれています。ちなみに、左上の写真は中宮寺の弥勒菩薩です)。
この本を書いたのは、キーウの画家で高名な美術評論家のオリガ・ペトローワさん。
前回、この欄でとりあげた「ウクライナの芸術家たちは今……」というビデオの企画者も彼女でしたから、「またオリガさんのはなし?」と思われるかも知れませんね。そうなのですが……空襲警報の鳴るなかで、自らを励ましながら次々と創造に挑戦するオリガの必死の想いは、彼女からの矢継ぎ早のメールを通して痛いほど伝わってくるのです。彼女は今82歳。身体のあちこちに痛みをかかえての挑戦です。そんな彼女のエネルギーにたじたじとなりながら、気がつけば私もいつしか巻き込まれています……。
さて、『ひらかたゆ笛吹きのぼる……』なんていうタイトルのついた本には、一体なにが書かれているのでしょう?
オリガは2004年と2010年の二回、日本に来たことがあります。最初は1ヶ月、2回目は約2週間、我が家に滞在し、私とあちこちを歩き回りました。遠方まで旅行したわけではありませんが、京都、大阪、奈良をていねいに観て歩けば、かなりの日本通になれますよね。(我が家は、この三つの都市のちょうど真ん中にあります)。
すっかり日本が大好きになった彼女は、2004年の帰国後にある雑誌のために「日本旅行記」を書きました。ロシア語で書かれたその原稿を私は校正段階で読んだのですが、あまりにも素晴らしいことばかりが書き連ねてあったので、「あなたは日本の現実を美化しすぎている!」と書き直しを促しました。すると、彼女は内容はそのままに、「日本旅行記」というタイトルの前に「旅行者のバラ色眼鏡で見た」という言葉を付け加えたのです!

あれから長い年月が過ぎました。オリガの「バラ色眼鏡の旅行記」もすっかり過去の記憶となっていました。ところが2022年の秋、戦時下のキーウから「私は大好きな日本についての本を書こうと思うの!」というオリガの「宣言」とも思えるメールが届いたのです。
「こんな時代だからこそ、美しいもののことを考えないと頭がおかしくなってしまう! 日本のことを読んだり考えたりしていたら、この殺伐とした現実を少しでも忘れられるのよ」
「バラ色眼鏡」のことを思い出して、私はあまり良い返事をしなかったのですが、彼女は猛然と日本についての本や資料を読み始めたのです。ウクライナ語だけでなく、ロシア語や英語もあわせると、彼女が読んだ日本関係の資料は多岐にわたっているようでした。
翌2023年になると、彼女は私や夫の家族の歴史などを根ほり葉ほりたずね始めました。
彼女が喜びそうなドラマティックな話はないのだけど……と思いつつ、夫の母方の祖母の実家・柴田家が戦国武将・柴田勝家の遠い子孫らしいこと(昔は系図もあったそうな……)、私の父の祖先が代々佐渡金山奉行所付きの絵師であったこと、などを、辞書をひきつつロシア語で書き送りながら、ふと思い出したのです。「私もこれと同じようなことをオリガに頼んだのだったわ!」
それは、私が2008年ウクライナの旅から戻って、そこで見聞きした驚異の体験(オレシコ城のピンゼル彫刻との出会い)を本にしようとしていたきのことです。ウクライナの歴史の資料を色々と読み漁りましたが、所詮私は歴史の研究者ではありません。そこで、旅の案内役だった親友オリガにまつわるエピソードを物語りの縦糸にし、資料で学んだ文化や歴史を横糸に編み込んで、ひとつにまとめ上げたのでした。それが『オリガと巨匠たち』です。
「あのとき、オリガの両親や祖先のことも、いろいろとメールで書き送ってもらったなぁ!」と、私は懐かしく思い出しました。
オリガが書こうとしている本の「縦糸」は、どうやら私と夫、そして私たちが住むこの日本伝統家屋のようでした。オリガはこの家のサムライに強く惹かれて、盛んに絵を描いていました。

そして、我が夫・片山通夫にも彼女は「サムライ」を見ようとしたのです。
「寡黙で、頼りになって、ミチオは本当のサムライだわ」と彼女は度々言っていました。実際のところ、片山通夫は決して寡黙な人間ではありません。オリガの前では、ロシア語ができないから、言葉すくなになっただけです(笑)。でも、私がいくらそう言っても、彼女は信じませんでしたし、サムライの幻想は本に彩りを添えていたので、まぁ、いいことにしておきましょう。


昨年の夏、「本のタイトルを思いついたわ!」というメールがきました。
「あなたの名前の由来の和歌を使うのは、どう?」
私は以前、彼女に問われるままに、「ふえ」がとても珍しい名前であること、「ひらかたゆ……」という古い短歌にちなんでつけられたこと、を説明したことがあったのです。
「だってウクライナの人には、ヒラカタってなんだか分からないでしょ!?」と私がびっくりすると
「すぐに分からないからいいのよ。何かしらって思うでしょう」と言って、彼女はその意図を説明してくれました。
「ひらかたゆ……」の和歌のウクライナ語訳 “З хіракати під голос флейти” は、「枚方から 笛の音に導かれて」という意味。そして、オリガは滞在先の「ヒラカタからフエに導かれて」多くのものを見、聞くことができたのだから、これはまさに ”З хіракати під голос флейти”なのだ、と。
そう言われると、なるほど、これはぴったりのタイトルのような気がしてきました。
今年の6月、本はめでたく発行されました。「評判は上々よ!」とオリガは喜んで、さっそく速達便で本を送ってくれました。
本文はウクライナ語なので、内容はなんとなく推測するしかありませんが、前書きだけは英訳がついていました。筆者は、ウクライナにおける日本研究の第一人者、S.V.カプラーノ博士。
博士は、オリガの日本文化に対する造詣がいかに深く正しく、愛情のこもったものであるかということを、熱のこもった調子で書いています。そして、そこにこんな一文もあったのです。
「筆者(オリガ)は文中でときどき『私は日本をバラ色眼鏡で見ているのかも知れない……』と書いているが、これはまったく当たっていない」。
私は思わず笑ってしまって、そして、とても安心したのです。
オリガさん、日本のことを書いてくれて、ありがとう!
潤いに飢えているウクライナの読者たちが、この本を喜んでくれるといいですね!
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この本には、彼女の日本の画も収められています。そのいくつかを、ここで紹介しておきましょう。


