大人が読む少年少女世界文学全集 第4巻
狩野香苗
◆まったく読んでいないのに、読んだ気になっている本
いままでここで取り上げた3冊の本には、それぞれ自分なりのこだわりがある本だった。
『飛ぶ教室』は夢中で読んだのに60年たって内容をすっかり忘れてしまった本『十五少年漂流記』は読書の喜びに目覚めて何度も繰り返し読んだ本
『あしながおじさん』は本より舞台の印象ばかり残っている本
いずれも抄訳でなく完訳をしっかり読んだし、子ども心に大きな印象と影響を与えてくれた、忘れられない本だった。
ところが、今回のバーネット(Frances Eliza Hodgson Burnett, 1849年~1924年)作『秘密の花園(The Secret Garden)』は、まったく読んだことがないのに、すっかり読んだ気になっているという、ちょっと問題のある本なのだ。
お恥ずかしながら、児童文学に限らず、世界や日本の名作でも、そういう本が私にはたくさんある。『赤毛のアン』や『トム・ソーヤの冒険』も、漱石の『坊っちゃん』も、太宰の『人間失格』も、私はちゃんと読んでいない。読んでなくても、なんとなく「あらすじ」や作品価値を知っていて、読んでいるにちがいない人たちと話を合わせることができてしまうのだから、あらあら不思議! 影響力の大きな作品なので、書評を目にしたり感想を聞いたりする機会も多く、映画などで視覚化されることも多いからだろう。そのためか、すっかり読んだ気になっているのだ。それで人生に支障をきたしたこともないし、今さら読むのはバツが悪いというか、面倒くさい……。『読んでいない本について堂々と語る方法』(ピエール・バイヤール著、2016年、ちくま学芸文庫)という本があるくらいだから、案外、同じような人は大勢いるのかもしれいない。
『秘密の花園』は映像でも観たことはないのだが、「孤児の少女が頑固な伯父さんの秘密の庭を発見し、病弱な少年を元気づける」お話ということは、自然と耳に入っていたので、それをもって読んだ気になっていた。
『小公子』と『小公女』の合作みたいなお話だなぁと思ったら、作者が同じバーネット夫人だった。主人公のセドリックもセーラも、生まれながらに容姿端麗、頭脳明晰で、優しく我慢強く、山あり谷ありの運命を抗うこともせずに受け入れ、やがて周囲の援助で幸運を掴む。本人たちが良い子なので、おのずと良い未来を手にするというわけ。「良い子」でなかった私は、この2つの物語に格段感銘を受けることもなかった。インド在住の孤児の少女が、イギリスのお金持ちの伯父に引き取られ……と聞いたら、だれだって『小公子』『小公女』の二番煎じ、いや三番煎じだと、期待値は下がる。同じ作者の『秘密の花園』は、読まなくてもいいやと、今まで半世紀以上が過ぎてしまった。
だが、それで本当によいのだろうか? せっかく「大人が読む少年少女世界文学全集」という企画なのだから、読んでいなかった本もこの機会に読んでみようではないかと、ここで重い腰をあげてみた。
とりあえず『秘密の花園』を読んでみなければと、ネットで検索してみると、1954年からこの70年間で約40~50冊の翻訳本や英語版、電子書籍が途切れることなく出版されていることがわかった。長期にわたって様々な出版社から発行され、読み継がれている本だとは思わなかった。もしかして、とんでもなく面白い本なのではと、ちょっと期待してしまう。そうして選んだ本は、1979年初版の猪熊葉子訳、堀内誠一画の福音館書店古典童話シリーズ。
文庫版などでは上下2冊に分かれているこの本、福音館版でも本文は443頁もある長編だ。年を重ねるにつけ長編小説を読むのが苦手になっているから、果たして読了できるだろうか、退屈しないだろうかと、いささか不安な思いでページをめくっていったが……たちまち夢中になってしまった! 面白くて面白くて、ページの残りを確かめながら「まだまだ終わらないでね~」と、祈りながら読んでいった。こんなことは久しぶり。もしかしたら、マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』以来かもしれない。
そういえば、『秘密の花園』のヒロイン、幼いメアリー・レノックスは、かのスカーレット・オハラに匹敵するくらいの最強ヒロインとして、私の中でランクインした。こんなに面白い主人公の面白いお話を、なんで読んでいなかったんだろう。もっと早く読めば、このお話の世界を長く堪能できたのにと、後悔しきりである。それでも今、『秘密の花園』に出会えてよかった。あのまま読まないで読んだ気になっていたらと思うと、なんだか救われたような気さえする……それほど面白く、大好きな1冊となった。

◆びっくり仰天、ヒロインは“つむじ曲がりのメリーさん”
先入観をもってコトに臨むと、物の本質が見えなくなってしまうことがある。『秘密の花園』という美しいタイトルからは、主人公はセーラのように優しくて美しく健気な少女なんだろうと思い込でいた。
ところが、冒頭の「こんなみっともない子どもはみたこともない」という一文で、先入観はあっという間にひっくり返された。
主人公は、あだ名が“つむじ曲がりのメアリーさん”という、ひどくやせていて不器量な癇癪もち。両親からは育児放棄され、インド人の乳母や大勢の召使にかしずかれはしたが、愛を知らずに育った。台所のワインを勝手に飲んで酔っぱらって寝ているうちに、両親はコレラで亡くなり、使用人たちは屋敷から逃げ出した。やっと起きてみたら家の中には9歳のメアリーを残して誰もいなくなっていた。
そんなとんでもなく悲劇的な身の上なのに、子どもが酔っ払って寝ているうちに状況が変わっていくという設定が妙に滑稽で、意外性に富んだ出だしに、たちまち物語の世界に引き込まれていく。
やがて、メアリーは大金持ちの伯父に引き取られることになり、インドからイギリスへ渡る。どこにいっても頑なで気難しい彼女は誰からも愛されることも、気に掛けられることもない。まぁ、なんてかわいそうな子どもなんでしょう……とならないところが、このお話の面白さ。
メアリーは召使に「ありがとう」という習慣なんてなく、怒ると乳母をひっぱたくという少女。ところが、伯父の屋敷でメアリーの世話係となったマーサは、体つきががっしりしているから、ぶたれたらぶちかえされるかもと、メアリーを初めてためらわせる。
ムーア(荒野)の端に両親と12人の兄弟と住むマーサは、貧しいけれど物おじしない気立ての良い娘で、メアリーをありのままに受け入れ、心を込めて世話をする。このマーサと、彼女の陽気な家族、とくに母ちゃんと弟のディッコンとの出会いが、メアリーを少しずつ変化させていく。屋敷を取り巻く自然を知り、それと触れ合うことでメアリーは、自分の寂しさに気づき、人が自分のために何かをしてくれていることを知る。

◆イギリスならではの屋敷の謎、風の吹く荒野、そして庭
バーネットはもともとイギリス人だったが、父の死で家が没落してアメリカに渡り、やがて作家として成功した。だが、彼女の心の中には常に故郷イギリスでの日々への回帰があったようで、『秘密の花園』の中にも、イギリス文学の伝統のような陰鬱で広大な屋敷とそこに住む謎の人物や、厳しい自然を象徴する風が吹きすさぶ荒野が登場する。
だが、『ジェーン・エア』や『嵐が丘』のような悲劇的要素よりも、謎解きの不思議さや面白さ、荒野の自然の豊かさや美しさの描写が勝っているように思う。そしてタイトルとなっている庭への思い入れや庭造りの楽しさが、なによりイギリスらしい。
自分勝手なメアリーは、伯父や女中頭のいいつけなど守らず、勝手に謎めいた屋敷の中を探検し、病弱ないとこのコリンを見つけ出す。このコリンがまた、メアリーに輪をかけたようなわがままで癇癪持ちの少年。普通の児童文学なら、メアリーが病弱なこの少年に同情し、ようやく目覚めかけた優しい心で彼を励ますということになりそうだが、びっくり仰天の『秘密の花園』では、けっしてそうはならない。
ある日、メアリーとコリンは大喧嘩をし、コリンは周囲の大人も手が付けられないような癇癪を起す。だが、病人に対して思いやりのかけらも持ちあわさないメアリーは、コリンを思いっきり叱り飛ばす。そのメアリーの頑固さがコリンには逆療法となり、思いもよらぬ効果をもたらした……。
そう、ここでやっと庭が、秘密の花園が登場。お待たせしました。
伯父一家の悲劇のもととなった秘密の庭をメアリーが見つけ出し、コリンと一緒に荒れ果てた庭に花を植え、見事によみがえらせる。やがてその庭で奇跡が起こり、ちょっと端折った感はあるが、物語は幸せな大団円を迎える。
心の傷を癒す方法もわからず苦しむ大人のもどかしさに比べ、無邪気に自然と戯れ、知らず知らずと自分たちをも成長させていく子どもたちの逞しさが印象的だ。庭作りに夢中になっているうちに、自然の恵みの中で、あのみっともないメアリーも、いつの間にかふっくらした健康的な美しい少女となっていく。
『小公子』や『小公女』では描かれなかった、自らの力で再生していく、子どもや自然の持つ力や逞しさが、『秘密の花園』にはある。そして何よりも、読者の先入観を笑い飛ばすような絶妙な物語の展開や、人物描写、そして悲劇的な状況でも、けっして陰鬱一辺倒にならない、ヨークシャーなまりに表現されるような、軽やかな雰囲気が漂っているのも、心地よかった。

それにしても、バーネット夫人の“夫人”は、いつのまになくなったのだろう。ラファイエット伯爵夫人にはじまり、バーネット夫人、ストウ夫人と、既婚の女流作家たちには“夫人”がついていて、なんとなく物々しく、堅苦しい感じがしていた。今回、バーネット夫人の名前がフランシス・ホジソン・バーネットであると、初めて知った。心に残る物語を書くにふさわしい、美しい名前だと思う。