おとうと

片山ふえ

わたしは末っ子である。
それも、姉たちとは10歳ほども年がはなれた「すごぶるつきの末っ子」なので、わたしがいくら馬鹿なことをしても、家族は「仕方ないよね、ふーちゃんは小さいんだから……」と笑っていた。「ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ……」と書いたのは賢治さんだったが、わたしはまさに「ホメラレモセズ クニモサレズ」、末っ子の座にのうのうと安住して育った。

骨の髄まで「末っ子」なので、この歳(なんと後期高齢者である!)になっても、周りの人がみな自分より「お兄さん」「お姉さん」に思える。たとえ相手が二十歳代の若者でも、彼または彼女が長男長女気質のしっかりした人だと、つい甘えたくなってしまう。
「だって、末っ子なんだもの」と、わたしは自分に言い訳をしてきた。

ところが、そんなわたしに「弟」ができたのだ! しかもロシア人の!
なにも、わたしの父がその昔ロシアで……というような、生臭いハナシではない。
以前、わたしが書家・森本龍石先生の海外展コーディネーターをしていたときに、一緒に展覧会の準備をしたペテルブルクの文学者セルゲイが、わたしを「ぼくの姉さん」と呼ぶようになったのだ。
(このセルゲイは、「We Love 遊」にも登場したし、ムーザサロンに出演したこともあるので、「ああ、あの!」と覚えていてくださる方もあるかも知れない)。

ロシアで最も権威のある国立ロシア文学研究所の文学博士、といういかめしい肩書きは彼には似合わない。繊細な……繊細すぎる程の感性をもった彼は、もともと東洋的なものに惹かれていたのだろう、何度も来日するうちに(毎回我が家に逗留したのだが)、森本龍石先生に心酔し、彼の薫陶を受けて墨絵に自分の新しい可能性を見いだした。そして自他ともに許す日本通になっていった。

セルゲイが墨で描いた公園の風景
お寺で見かけお坊さんたち。お坊さん特有の姿の特徴がよく捉えられているのに驚く。

ところが、コロナで日本に来れなくなってしまったのだ。やがて、消息を知らせ合うメールに、「ボクの姉さんへ」という呼びかけが顔を出すようになった。日本を身近に感じたい、繋がっていたいという気持ちが、彼にそう書かせるのだろう。そう思いながらも、「姉さん、かぁ……」とわたしは満更でもない気分だ。末っ子でいるのはとても楽なことだが、でも……「姉さん、だってさ。うふふ!」

その「可愛い弟」から便りが来なくなった。どうしているのかな、と思いながらも、ウクライナ戦争が始まって以来、ロシアの友人たちとの距離の取り方も慎重にならざるを得ず(何しろ日本は「非友好国=敵国」なので)、こちらから便りを出すことはしなかった。
今年の5月、久しぶりに届いた彼のメールは重苦しいものだった。
「短編を書いた。陰気な話だ。両親が亡くなったあとの心の空白を、まだ埋められないでいる。もう3年も経つのに……。今も捨てられた子猫のような気分なんだ。泣けてくるよ。60歳にもなった大の男が……」

表面的には戦時中とは思えない穏やかな日常が続いているといわれるロシア社会だが、空気中には常にピリピリしたものが漂っているに違いなく、感受性の強い彼のような人には辛いのだろう。
こんなときにこそ、手を差し伸べてあげるのが「姉さん」の役目だ!
そう思ってすぐに返事を書き始めたが、書いている内容に我ながら驚いた。

「セリョージャ、去年、娘さんと再会できて、いい関係が戻ったって言ってたでしょ。あれはご両親があなたのことを心配して、娘さんを遣わしてくださったのよ。ご両親はいつもあなたを見ていらっしゃるわ」

実は、彼には絶縁状態だった娘がいたが、彼の還暦祝いに三十年ぶりに彼女が姿を現し、わだかまりが消えたという話を昨夏に聞いたことがあった。でも、それを今思い出すなんて、そしてそれが亡き両親の計らいだと言うなんて、自分で書きながら、何かの力に動かされているみたいだった……。

すぐに返事が来た。
「そうだ! ホントにそうだ。考えてもみなかったけど、娘は両親がよこしてくれたんだ! 心が軽くなったよ。姉さん、ありがとう!」

わたしは嬉しくなって、今度は彼に「千の風になって」の歌と、「風になった父の話」を送った。そう、この誌上でもリバイバルで紹介した「納骨奇譚」だ。このエッセイは、興味を持ってくれたウクライナの友人の助けを借りて、ロシア語に訳したものがあったのだ。

それで、ここで再度「納骨奇譚」を、今度はロシア語の翻訳つきで掲げることにする。
今号は、いつもロシア語のエッセイを書いてくださっているアントンさんが超多忙でお休みなので、その代わり……のつもりもある。

納骨奇譚(「We Love 遊34号」)露訳つき

セルゲイはこのエッセイを大いに喜び、彼がロシア文学研究所で編集を担当している研究誌の«Все миражи мира. Иллюзии в литературе и искусстве»(「世界の幻影、文学と芸術におけるイリュージョン」)に「付録」として載せると言ってきた。

どうやら彼は無事に鬱状態から抜け出したようだ。
よかった、よかったと、「姉さん」は役目を果たせて胸をなで下ろしている。

文学会議で発言中のセルゲイ(2024)

 

 

 

 

 

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