正月の禁忌ー何ごとも「祝い直し」で!

桑山ひろ子

あけましておめでとうございます。
2026年(令和8年)です!
皆さんはどんなお正月をすごされましたか。
もう何十年もまえの子どもの時のお正月を思い出すと、ずいぶんいろいろな『しきたり』があったように思います。

同じ年代の人でも、住んでいた場所や家庭の世代構成でずいぶんちがうようですが、共通のものがあって『そうそう、そうだったね!』と懐かしんだり、『うちは今もやってるよ!』『へぇ、そうなの!』などと驚いたりすることもあります。今、残っているものも、それが子どもの代、孫の代、どこまで引き継がれていくかわかりませんが、私自身、親がきちんと守っていたのにしなくなったことがあまりにも多いので、それをとやかく言う気なんぞ少しもありません。

さて、今回は昔のお正月風景をのぞいてみましょう。

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「祝い直し」  (『立石おじさんのおかやま昔話 第四集』より)

昔あるところに分限者の家があって、そこでは奉公人と女中を使うておった。その分限者の旦那さんはものすごう縁起担ぎじゃった。
ある年の大晦日の晩に奉公人と女中を呼んで
「あしたは元日じゃ。元日にええ事があったら一年中ええ事がある。元日に悪い事があったら、一年中悪い事があるんじゃ。明日はぜったい悪い事をゆうたらいかんぞ」
そして、奉公人に向かって言うた。
「おまえは明日、若水をくんでくれ。朝早うに起きて、あの向こうにある汲み川に行って、ここにある若水担桶(たご)と若水柄杓をもって汲んでくるんじゃ。汲む前に『福を汲む、徳を汲む、幸いの水を汲む』と3回唱えて、そのあと米をパラッとまいてから水を汲むんじゃぞ。」
そうして、担桶にシメを張ったもんと、柄杓にシメを張ったもんを奉公人に渡した。
次の朝、奉公人が若水を汲みに行こうと表の戸を開けると、外は真っ白。一晩のうちに雪がようけえ降って一尺以上も積もっとる。
「ありゃりゃ、この大雪の中を汲み川まで行くのは大変なことじゃ。困ったな」と思うとったら、家のすぐそばの田んぼから水がジョージョー落ちよる。
「たんぼから落ちる水も、汲み川の水も、水にはちがいない。これを若水じゃゆうて汲んで帰ろう。」
奉公人はたんぼから落ちとる水を『福を汲む、徳を汲む、幸いの水を汲む』と3回ゆうて汲んで帰った。そしてそれで福茶を沸かして、神様にお供えしたんじゃ。
ところが、悪い事は誰かが見とるもんで、女中が見とって、旦那さんにそのことを言うた。旦那さんは怒って、「おい、お前は田から落ちる水を汲んできたらしいな。『宝落ちる』水じゃ。今年は宝が落ちてしまうぞ!」
そうしたら奉公人が言うた。
「旦那さん、そりゃ違いますぞ。私が汲んできたのは『宝落ちる水』じゃのうて、田から来る水、『宝來る水』、この家に宝が来るように汲んできたんです。」これを聞いた旦那さん、
「あっ、そうか!そりゃあ、よかった。うちにも宝がやって来るぞ!」と大喜び。

さて、それからみんなで雑煮で祝うことになった。女中が土瓶にお茶を入れて持ってきたところ、持ち手のつるがはずれて、土瓶がガシャンと落ちて割れてしもうた。旦那さんはそれを見て、
「縁起でもない、元日早々から物を割るじゃいうて、うちの家が壊れたらどうする!」いうて怒った。
そうしたら、その奉公人が、
「旦那さん、ここはひとつ祝い直しでいきましょう。ドンとヒンはみな散って、あとに残りし金のつるなり。貪や貧はみななくなって、金のつるだけ残るんですから、この家は、今年は大繁盛ですよ」と言うた。
旦那さん、それを聞いて、
「いやあ、ええ事を言うてくれた。これでこの家は今年はようなる」とまたまた大喜び。

やがて、お客さんが年始の挨拶にみえたので、奥の間に通したところ、なんと床の上に大晦日に掃除をしたときの雑巾が置かれとる。それを見て、旦那さんが、
「縁起でもない。正月早々、床の間に雑巾を置いたりして」と女中を呼んで怒った。そうしたら奉公人が飛んできて、
「旦那さん、ここはまた祝い直しをしましょう。ぞうきんを漢字で書けば、蔵に金、一年中福、福、福ですよ」
旦那さん、また大喜びで、
「ええ事を言うてくれるな。蔵に金が貯まるぞ。うちには福がやって来るぞ」というて、奉公人の給金を倍にしてやったんじゃって。

昔こっぷり、とびのくそ。

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私の子どもの頃、今から70年前ごろはまだまだ生活の中にたくさんの『してはいけないこと』があった。夜に爪を切るな、箸から箸で食べ物を渡すな、敷居を踏むな、新しい靴をはいてそのまま下りるな等々、そのあとには必ず子どもが怖がるような話がくっついていた。
特にお正月ともなると、改まった雰囲気と重なって普段のいろいろな迷信っぽい禁忌にも厳粛な気持ちになったものだ。
宮尾登美子著『生きていく力』の中に「正月の禁忌あれこれ」というのがある。
「~正月は何が窮屈かといえば、なになには言ってはならぬ、なになにはしてはならぬの禁忌がいっぱいで、うっかりそれを破ると、母など1年中嘆くので子ども心にもそれが負担だった」とある。
我が家もまさにその通りだった。

母は体が弱く、1年の半分くらいは横になっていた。それでも年末には大掃除だ、買い物だとせっせと動いていた。そして、毎年の大晦日の夜には私と兄二人を前に「明日から3日間、洗濯しない、掃除しないだからね。三が日の間にほうきやぞうきんを使おうものなら、一年中大忙しになるんだから!」と宣言したものだ。私たち三人兄弟は、また母が寝込んだらたいへんだと、神妙に聞いていた。
しかし、腕白盛りの三人が元日だからとじっとできるわけがなく、すぐに家中走り回るはとっくみあいが始まるはで、ほうきやぞうきんをつかわないで済んだことはなかったと思う。
ある年の元日、一家そろってお雑煮をいただいた後、我が家で一番の腕白坊主だった二番目の兄はさっそく正月用の新しい服を着て、外へ遊びに飛び出して行った。いつもなら鉄砲玉のように帰ってこないのに、その日はすぐに戻ってきた。お腹をこわしていて、下着も服も汚してしまったという。その時の母の絶望的な顔は今でも覚えているくらいだ。

しかし、「祝い直し」の奉公人を真似れば、あれで「うんがついた」とでも言うのだろうか、30歳代から「もう死ぬ、もう死ぬ」と子どもたちを怖がらせた母は78歳まで生きた。

2026年、新しい年が明るい気持ちで過ごせますように!
何があっても『祝い直し』でウマく乗り切りましょう!

 

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