シャガールの自伝「私の人生」はすでに邦訳が2点ありますが、実はこれらの訳には不明瞭な点がいろいろあります。「We Love 遊」誌上でシャガールの画の画期的な解釈を披露して大きな反響を呼んだ角伸明氏は、従来の不明瞭な点を明らかにするために、今「私の人生」を新たに翻訳中です。なぜ、新しい翻訳が必要なのか――角さんの説明をお聞きください。 (片山ふえ)
尚、「We Love 遊」の記事の一部を、「リバイバル」の項に載せていますので、そちらもぜひご覧ください。
シャガールの自伝「私の人生」を新に翻訳する意味と難しさについて
角 伸明
この自伝はシャガールが35歳の時に書き上げたものです。誕生の時(1887年)から、ロシア革命後の1922年に家族と共にロシアを脱出する時までの彼の人生が書かれています。ヴィテプスクのユダヤ人社会で過ごした子供時代、両親、祖父母、叔父さんや叔母さんについて、画家になった経緯、パリ留学時代の生活、ロシアに帰ってベラとの結婚、第一次世界大戦、ロシア革命時の激動の生活、ユダヤ劇場壁画の制作過程などがその内容です。
シャガールはロシア語で「私の人生」を書きました。そして、ロシアを脱出してベルリンにいた1923年に「私の人生」のドイツ語訳を出版しようとしました。しかし、一見分かりやすく見えるシャガールの文は、実は凝った(あるいは困った?)文章でドイツ人翻訳家の手に負えなかったために、文章は載せずに挿絵だけを集めて画集としての「私の人生」が出版されました。それから、フランスに移ってからフランス語訳を出版しようとしましたが、これもまたシャガールの個性的なロシア語表現が原因のために一筋縄には行きませんでした。まずアンドレ・サルモンという人物に翻訳を依頼しましたが、サルモンはシャガールの個性的なロシア語表現のニュアンスを上手くフランス語に置き換えることが出来ずに、あまりにもフランス的な訳になってしまい、大幅な修正を行わなければなりませんでした。シャガール自身や妻ベラのフランス語の家庭教師や友人たちの協力を得てサルモン訳に手を加えてやっとフランス語訳が完成しました。ベルリン時代に出版されたエッチング32枚を挿絵として収録して、1931年にストック書店から出版されました。序文を書いたサルモンは、「シャガールは翻訳不可能である。彼のロシア語は真のロシア語ではない。完璧主義者はこのフランス語訳に腹を立てることだろう」と書いたということです。
シャガールの書きぶりは、まるで彼の絵のように自由奔放で、事実とそれについての彼の感想が書かれていますが、突然話題が変わったり、シャガールのロシア語の文が変則的で分かりにくく真意が掴み難かったりで、翻訳者泣かせだったようです。「だったようです」と推測しているのは、シャガールが最初に書いたロシア語の原稿は紛失していて、原文がどのようなロシア語だったか確かめようがないからです。ロシア語の原文がないということは、決定的な損失です。これまで「私の人生」の日本語訳は2種類出ていますが、どちらもフランス語版からの翻訳です。①「シャガール自叙伝」(中山省三郎訳、1931年)と②「シャガール わが回想」(三輪福松、村上陽通訳、1985年)です。
中山省三郎訳には二つの謎があります。一つは、本当に中山氏が訳したのかというものです。中山氏はたくさんのロシア小説を訳している著名なロシア文学の翻訳者ですが、彼の経歴を調べてみてもフランス語を勉強した形跡がありません。二つ目は、1931年という時期には、もしかしたら中山氏はロシア語の原文を見ることが出来て、ロシア語から訳したのかもしれないというものです。もしそうなら、書誌学的には大変な意味を持つことになります。
しかし、中山氏ほどの翻訳者がロシア語から訳したものにしては、訳文があまりに拙すぎるので、この可能性もない思います。
ともあれ、①②どちらの翻訳を見ても意味の通らない訳文になっている箇所が多く、シャガールの「私の人生」は、シャガールの作品を理解するためには新しい翻訳が必要だと考えました。これから私が訳していく「私の人生」のテクストは、現在のロシア人シャガール研究者が、フランス語版(1931年)とイディシュ語版(1925年)を元にしてロシア語に反訳(一度翻訳された言葉をもとの言葉に戻すこと)したテクストです。
現代版「私の人生」を出版したロシア人シャガール研究者アプチンスカヤ氏は次のように書いています。
「出版されたこの本は、必然的に翻訳の翻訳であり、いわば反射の反射であって、決してシャガールの原文の復元であると主張するつもりはない。ちなみに、私たちの出版物「私の人生」に掲載されているシャガール自身の全ての言葉は、彼の手紙を除いて、イディシュ語またはフランス語からのかなり自由な翻訳であるか、私たちが編集した痕跡が残っているものす。全体的に興奮したトーン、突然途切れるフレーズ、それらの間に生じる文脈の断絶、自由自在な発話と文を一つの繋がりとして結びつけている内面のリズムの組み合わせ、これらすべてが、シャガールの絵画や素描を思い出させます。ただし、重訳ではどうしても画家の文章と彼が描いて作品世界とがピッタリとしません。」
現代版ロシア語「私の人生」は、重訳の限界はあるものの、これまで出版された日本語訳「私の人生」よりも意味不明な箇所がはるかに少なく、シャガールの作品理解にとって大変有益な本だと思います。この本の日本語訳を出すことは、シャガール理解を一歩前に進めるものと考えます。
堅苦しいことを書きましたが、なによりシャガールの自伝は面白いので、訳します。
額入り自画像。1910年代。紙、墨。