狩野 香苗
現在68歳の私は、子どもの時から大の本好き。手当たり次第に本を読み漁り、大きくなったら本を作る人になると決意していた。その夢を実現させるには、かなりの遠回りを要したのだが、雑誌編集者を経て40代で書籍編集者となった。本を読み、本を作り、また本を読みの60年。よく飽きもせず本と付き合ってきたものだ。この読書の旅もそろそろ終わりが見えてきた。集中力がなくなり、老眼鏡が必要となり、本も紙から電子出版という時代になってきた。そんな今、自分の読書体験の原点であり、子ども時代に耽溺した少
そこで、なぜ第1巻が『飛ぶ教室』なのかというと、この本が出版されてから90年、今も愛読され続け、ドイツが誇る児童文学者ケストナーの代表作だからという、誰でもが思いつくような立派な理由では……ない。実は、私はこの有名な児童文学のあらすじをすっかり忘れていたからなのだ。
覚えているのは、ドイツの寄宿学校の少年たちの話で、その中の貧しい優等生がクリスマスに家に帰れず泣く――これだけ。こんな情けないお話のはずはないのだ。私はいったい何を読み落とし、忘れているのだろう。長い間、それが気になっていたので、真っ先に読み直すことにしたわけである。
『飛ぶ教室』の最初の邦訳は、日本にケストナーやヘッセを紹介した高橋健二で、1962年にケストナー少年文学全集4巻として岩波書店から出版された。その後は、原作が出版されてから50年後の1983年に山口四郎訳が出たのを皮切りに、池田香代子、池内紀など多数のドイツ文学者たちが訳している。私が『飛ぶ教室』を読んだのは1966年の小学校の5年生の頃なので、高橋健二訳の古書を手に入れたが、なんと20年前の2003年版ですでに48刷。長い年月、版を重ね、子どもたちに読み継がれていたことがわかった。函入りのハードカバーという立派な装丁で、定価1600円。
さっそく読み始めたのだが、う~ん、とても読みにくい。「ですます」調で、ルビが多く、物語に入る前のまえがきがやたら長い。68歳の私の読解力が11歳の私より衰えているのか、かつて耽溺したはずの『飛ぶ教室』の世界に引き込まれなかった。何より、優等生(マルティンという名前だった)がクリスマスに家に帰れず泣くという、唯一覚えていたシーンは、マルティンがベッドに跪いて泣いている小さな挿絵で覚えていたのだが、ワルター・トリヤーの挿絵にそのシーンはなかった。今でもその絵は覚えているのだが、他の訳本だったのだろうか?
幻の挿絵を求めて、もう1冊、2006年初版の若松宣子訳の偕成社文庫を読んでみた。こちらはソフトカバーで800円と、手ごろな装丁と価格になっている。残念ながら、フジモトマサルによる挿絵にも、あの幻の挿絵はなかった。マルティンの悲しみに同化した11歳の私が作り出した、空想の挿絵だったのだろうか?
だが、若松版は私には読みやすかった。「完訳」となっているので、原作の抄訳ではないが、高橋版と比べると、日本語がかなり簡略化され、漢字も少なく(したがってルビも少ない)、テンポのよい「である」調が軽快で、はつらつとした少年たちの物語にはふさわしく感じた。
2冊の『飛ぶ教室』の差は、どちらが優れているというものではなく、時代による日本語の変化と、それを年齢とともに受け入れてきた自分の変化なのだろう。半世紀前の子ども時代に慣れ親しんだ言葉遣いや、日本語の字面やテンポが、かなり変化したことを実感した。
例えば、6章で絵の得意なマルティンを、高橋訳では「驚いた、驚いた! きみはきっとチチアンかレンブラント級の画家になるよ」とあるが、若松訳では「やんなっちゃうな! マルティンはきっと、いつかティツィアーノかレンブラントみたいなすごい画家になるよ」となる。
11歳の私はチチアンもレンブラントもどちらの名前も知らず、たぶん有名な画家ねと、脳内処理をしていたはずだ。子どもはそれで済む。大人になった私は「レンブラントはわかるけど、チチアンって誰?」と、読書を中断してスマホの検索に走る。日本ではティツィアーノをチシアン、またはチチアンと呼んでいた時期があったようだ。大人の読書は少し面倒くさい。
物語はクリスマス休暇の始まる前の寄宿学校で、生徒たちが遭遇する様々な事件を、巧みな群像劇として描いている。子どもの貧困、育児放棄、いじめや暴力など、現代にも通じる教育問題が描かれているのも、90年間にわたって読み継がれている理由のひとつだろう。何よりそれぞれ個性的な少年たちが魅力的に描かれ、少年たちの自我の目覚めと、友情や争い、教師たちとの師弟愛、寄宿生活で遠く離れている家族への思いが、ひしひしと胸に伝わる。
伝わったけれど、11歳の私はその後忘れてしまい、例のクリスマスに家に帰れず泣く優等生の姿だけが残った。今回の再読で、その理由がわかったような気がする。『飛ぶ教室』に通奏低音のように流れている隠れたテーマが、“孤独”や“悲しみ”だと感じたからだ。はつらつとした少年たちも、理知的で思いやり深い先生も、優しい家族たちも、ひとり一人がそれを抱え、著者のケストナーその人を反映するように耐えながら生きている。活劇調の様々な事件の面白さよりも、クリスマスに家に帰れない少年の孤独と悲しみのほうが、子どもの私にも印象に残ったのだ。

そして、この物語が1933年のドイツで書かれたこと、ケストナーが“抵抗作家”と呼ばれたこと、ナチスによる焚書など、大人になった私は様々な“知識”という色眼鏡をかけて、『飛ぶ教室』を再読した。子どものように素直に物語世界に耽溺するには、大人は余計なものを身につけすぎている。『飛ぶ教室』の少年たちのその後を思い、心が痛んだ。