『死者』~屋根の上のバイオリン弾き
「We Love 遊」に連載された「ユダヤ人画家シャガールの面白さに惹かれて』第3回と第4回からの抜粋で、角さんの「絵解き」をご紹介しましょう。ここで取り上げられている絵は、1908年作『死者 Покойник』です。
今回はペテルブルグ時代の作品『死者』(1908年)を見てみましょう。この絵の情景は非常にシュールなものに見えますが、描かれている題材の一つはシャガールが実際に体験した事件であることが『わが人生』に書かれています。
「ある朝、それも日の出のだいぶ前に、急に窓の下の通りで叫び声が起こった。私は街灯の微かな明りに一人の女が人けのない通りを横切るのを見た。彼女は夫を助けに来てくれるように、両手を振って号泣し、まだ眠っている人々に哀願している。……驚いた人々があちこちから集まってくる。めいめい何か言ったり助言したりした。呻吟している病人の胸や手をマッサージする者もいた。……ついに泣声や呻き声が上がった。……臨終の人の頭上でお祈りが大声で始まる。……死者はすでに厳かに床に置かれ、顔は6本の蝋燭で照らされている。」
『わが人生』の記述では死者は部屋の床に置かれていますが、絵の中では路上に描かれています。夜明け前の「人けのない通り」をイディッシュ語やロシア語では「死の通り」(ロシア語ではмёртвая улица、英語ではdead street)と言います。シャガールは死者を路上に描くことによって、この通りが夜明け前の「人けのない通り」であることを示しているのです。このことは多くの論者が指摘しており、私も同意します。シャガールは絵で言葉遊びをやっています。
しかし、もう一つのモチーフの屋根の上のバイオリン弾きは何なんでしょうか?
研究者たちの解釈を紹介しておきます。
(1)「ミュージカルの『屋根の上のバイオリン弾き』という題名は、昔ローマ皇帝ネロによるユダヤ人の大虐殺があった時、逃げまどう群衆の中で、ひとり屋根の上でバイオリンを弾く男がいたという故事を描いたシャガールの絵にヒントを得たもの。ユダヤ人の不屈の魂の象徴」(ウィキぺディア)
(2)「恐ろしい空の下で風の唸りとハーモニーを奏でる屋根の上の不可解なヴァイオリン弾き」(ホロンスキー)
(3)「家の屋根の上では、ラプソディーを奏でるごとく、この世のものならぬヴァイオリン弾きが調べを演奏する」(ヴォルシェレガー)
(4)「屋根の上の狂人は天才的音楽家で、彼の音楽は人生の悲劇を超越している」 (ハルシャフ)
(5)「絵とか音楽のような取り留めのない創造に携わる狂人を描いている」 (有木宏二)
これらの見解は互いに異なっていますが、屋根の上のバイオリン弾きを非現実的でシリアスなモチーフだとしているのは共通しています。
ユダヤ人にとってのヴァイオリン
さて、ヴァイオリン弾きのモチーフの意味を考える前に、ユダヤ人とヴァイオリンの関係について述べておきます。ヴァイオリンは、「神様がユダヤ人に与えた楽器」というほど、当時のロシア・東欧のユダヤ人にとっては無くてはならない身近な楽器でした。ロシア帝国領に住むユダヤ人は、子供の頃に一度はヴァイオリンの才能の有無を見るためにヴァイオリンの練習をさせられました。その理由は次のようなものです。
「ロシアの帝政時代、そして革命後のソビエト時代においてもなお、芸術的天分に恵まれたユダヤ人の子供たちは特別に保護されてきた。彼らはユダヤ人居住地域を出て、芸術アカデミーのある都市で、すぐれた教師について勉学できる例外的特権を与えられたのである。両親や家族たちもユダヤ人居住地域を出て、子供と一緒に生活することができる特別許可証が与えられた。そうした背景もあって、子供のいるユダヤ人家庭では、争って早くから子供たちにヴァイオリンを習わせた。子供がヴァイオリンを上手に弾くことは、家族の希望となり夢となった。美しい音楽を弾くことは、神への祈りに通ずる道でもあった。それは習慣となり伝統となった。……20世紀初頭に、ユダヤ人迫害から逃れるために200万人あまりのユダヤ人がロシアからアメリカやイスラエルに逃れた。船から降りて来る子供たちのうち2人に1人は、ヴァイオリンのケースを何物にも代え難い宝物のように抱えていたといわれる。」(小谷瑞穂子著『ユダヤ系芸術家』)
実際、帝政期のロシア宮廷楽団の楽団員は9割以上がユダヤ人でした。また、20世紀前半の西欧のヴィルトオーソと呼ばれる名ヴァイオリニストのほとんどがユダヤ人でした。
エフレム・ジンバリスト、ミッシャ・エルマン、ヤッシャ・ハイフェツ、ダヴィッド・オイストラフ、ユーディー・メニューイン、アイザック・スターン、イヴリー・ギトリス、レオニード・コーガン……。20世紀前半の名ヴァイオリニスト誕生の背景には上記のようなロシア・東欧のユダヤの音楽的伝統があったわけです。
シャガールも子供の頃にヴァイオリンの練習をさせられましたが、幸か不幸か彼には才能がありませんでした。
素朴な民俗楽器としてのヴァイオリン
ところで、貧しいユダヤ人が、ヴァイオリンのような楽器を簡単に持つことができたのかという疑問が湧くと思われますが、その疑問を解く文章をメニューインが書いています。
「奇妙に聞こえるかも知れないが、ヴァイオリンは貧しき者の楽器であると同時に、様々な人々に極めて雄弁で直接的な表現手段を提供する楽器である。ヴァイオリンによって人々は自分を語ることができる。私はモスクワの民俗楽器博物館を訪れた時のことを覚えている。何百というヴァイオリンの仲間を見た時には、自分の目が信じられなかった。考えられるすべての形状、サイズ、デザインがあった。これらは村の大工や器用な村人の手で作られ、村の回りのあちこちを旅したのだ。こうした頑丈なヴァイオリンは素朴な民俗楽器だが、尽きることのない資源である。この種の楽器はまことに頑丈だった。濡れたり傷ついたりしても、簡単に修理、交換が可能だった。」 (メニューイン著『音楽を愛する友へ』)
ユダヤの民衆が弾いていたヴァイオリンは高価なクラシック用ヴァイオリンではなく、素朴な民俗楽器だったのです。また、ユダヤ社会は宗教的儀式に音楽が必要不可欠だったので、共同体が所有し子供たちに貸し出して練習させていました。当時、ユダヤ人のヴァイオリン弾き人口の裾野は非常に広く、ヴァイオリンは喜怒哀楽を表現するユダヤ人の心とも言える楽器だったのです
屋根の上のヴァイオリン弾き
では、『死者』の絵の屋根の上のヴァイオリン弾きのモチーフに話を戻しましょう。
前回述べた道路に横たわる死者のモチーフは、シャガールが実際に体験した出来事をもとに描かれました。しかし、その出来事には屋根の上のヴァイオリン弾きは登場していません。夜明け前に屋根に登るヴァイオリン弾きはいないでしょう。屋根の上のヴァイオリン弾きのモチーフは、別の思い出から作られたものだと思います。この『死者』という絵はいくつかの思い出を組み合わせた作品だと思います。そこで、シャガールの半生記『わが人生』を読んでみましょう。
「お祭りの日だった。お祖父さんの姿が見えない。みんなが祖父を探しまわった。どこだ、一体どこに行ってしまったんだ? 天気がよいので、祖父は屋根によじ登り、煙突の上に座ってニンジンをかじっていたのがわかった。絵として悪くない。」(シャガール『わが人生』)
シャガールのお祖父さんが屋根に登っています。庶民のユダヤ人の家は小さいので簡単に登れたのですね。屋根に登ったお祖父さんの様子を見て、シャガールは絵として悪くないと言っています。実はシャガール自身も屋根に登っています。
「あの悲しくて、それでいて楽しかった私の町よ。無邪気な子供だった私は家からお前を眺めていたものだった。お前は全てを私に見せてくれた。垣根が邪魔になれば、踏段に上った。それでも見えない時は、屋根まで登った。どうしていけないのか? おじいさんだって登ったんだ。こうして、私はお前を思う存分眺めたものさ。」(シャガール『わが人生』)
シャガールにとっては、人が屋根の上に登ることは日常的なことで、思い出深いことだったのです。狂人のすることではなかったのです。ただ、屋根の上に登っているのが、なぜヴァイオリン弾きなのか?という疑問が残ります。 もう少し『わが人生』を読んでみましょう。
「土曜日(安息日)ごとに、ネフ叔父さんは、汚れたタリート(ユダヤ教のお祈りの時の肩掛け)を身につけ、聖典を声高に読んでいた。そして、叔父さんはヴァイオリンを弾いた。靴屋のようにヴァイオリンを弾いていた。祖父は物思いにふけりながら叔父さんのヴァイオリンを聞くのが好きだった。」
シャガールの叔父さんはヴァイオリン弾きだったのです。叔父さんは土曜日(安息日)毎にヴァイオリンを弾いていたことから、どんな曲を弾いていたか容易に想像がつきます。ユダヤ教ハシド派の宗教音楽、ハシディックミュージックです。ハシド派は音楽や踊りを特に重視しました。お祖父さんがネフ叔父さんの弾くヴァイオリンを物思いに耽りながら聞くのを好んだのは、その曲がハシディックミュージックだったからです。
ところでシャガールは面白い表現を使っていますね。「靴屋のようにヴァイオリンを弾いていた」と。これはロシア語の直訳です。そこで『死者』の絵を見てください。ヴァイオリン弾きがいる家の屋根から靴がぶら下がっていますね。この絵の一番面白い点はこの靴です。
ところが、多くの解説や論文を見ましたが、この靴について一言もありません。今回最初に列挙した研究者たちもこの靴を無視しています。ロシア人たちにも、ベラルーシのシャガール芸術センターの学芸員の人にも尋ねました。「このヴァイオリン弾きは上手なんですか?」と。異口同音に名人だという答えが返ってきました。
では辞書を引いて見ましょう。ミヘリソン慣用句辞典(日本の露和辞典でも可)を見ると、「靴屋のように演奏する(играть как саможник)」=「下手くそに弾く」と出てきます。つまり、ネフ叔父さんは下手くそにヴァイオリンを弾いていたわけです。
『死者』の中に描かれているヴァイオリン弾きはネフ叔父さんです。シャガールはネフ叔父さんを描くために、叔父さんをわざわざ屋根に上げて、その屋根に靴屋の看板を描き込みました。靴のモチーフの意味に気づいたとき、シリアスに見える情景の中に、突然「下手くそ〜!」と叫んでいるシャガールの声が聞こえてきて、腰が抜けそうになったことを覚えています。(笑)
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