マルク・シャガール
「私の人生」 両親、妻、故郷の町へ
前号で角さんが説明されましたように、従来の訳より原文に忠実な底本を使った意欲的な新訳です。(編集部)
(第1章)
私が初めて見たものは桶でした。深くて、縁が丸く削られている、市場で売られているようなありふれた桶でした。私はその桶の中にすっぽり収まっていました。誰が言ったか覚えていません、おそらく母が言ったのでしょうが、私が生まれたちょうどその時に、ヴィテブスク郊外にある刑務所裏の道沿いの小さな家で火事が起きたのです。火は貧しいユダヤ人地区を含む町全体を覆ってしまいました。
母親と足元にいた赤ん坊は、ベッドごと町の反対側の安全な場所に運ばれました。でも肝心なことは、私は仮死状態で生まれてきたということです。
私は生きることを望んでいなかった。生きることを望んでいないこんな小さな青白い塊を思い浮かべてください。まるでシャガールの絵をわんさと見ているような感じです。この小さな塊は針でつつかれたり、水の入ったバケツに浸けられたりしました。そうしたらついに弱々しくオギャーと鳴いたのです。とにかく、私は仮死状態で生まれてきたのです。
額入り自画像。1910年代。紙、墨。
心理学者達がこのことを元にして何か馬鹿げた結論を導き出さないように切に願います。
ところで、ペスコバチキ(私達が住んでいた地区はそのような名前だった)の家はまだそのまま残っています。少し前に見ましたから。
父はお金ができると、すぐにこの家を売ってしまいました。このあばら家は私の絵に出てくる緑色のラビ(ユダヤ教の律法博士)の頭の瘤や、ニシンの樽に落ちて塩水で膨れ上がったジャガイモを私に思い出させます。私が最近手に入れた「高み」からその小さな家を眺めながら、私は顔を顰めてこう思いました。
「よくこんなところで私は生まれたものだ?こんな家で人は息ができるのだろか?」と。
長い黒ひげを蓄えた尊敬すべき老人である祖父が安らかに息を引き取ると、父は数ルーブルで別の家を購入しました。ペスコバチクとは違って、新しい家の近所には精神病院はもうありませんでした。近所には教会や塀や小さな商店やシナゴーグや、ジョットのフレスコ画に描かれているようなずっと昔から存在する素朴な建物がありました。
ヤビチやベイリンといった名前のあらゆる種類のユダヤ人が、老いも若きもうろうろと行ったり来たり、あくせく動き回っています。乞食は家路を急ぎ、金持ちはゆったりと歩き、少年はヘデル(ユダヤ教初等学校)から駆け出しています。そして私の父は家路についています。その当時映画館はまだありませんでした。人々の行く先は、家か店だけでした。桶の次に覚えていることはこれらの光景です。
言うまでもなく、幼い頃に見た空と星は覚えています。
私の大好きな愛しい星たちは、私を学校まで送ってくれ、学校が終わって私が出てくるまで外で待っていてくれました。私の可哀想な星たちよ、私を許して下さい。私はあなたたちをあんなにひどく高い空に置き去りにしてしまったのです!ああ、悲しく、楽しかった私の町よ!
何も分からなかった子供の私は玄関先から君(町)を見ていました。そして、君はすべてを私に見せてくれました。塀が邪魔な時は、私は踏み台に登ったものです。それでも見えない時は、屋根によじ登りました。驚かないでください!おじいちゃんも屋根によく登っていました。
そして、好きなだけ君を見ていました。
このポクロフスカヤ通りで、私は生まれ変わったのです。
父の肖像画。1907年。紙、墨、セピア絵具。
フィレンツェ派の巨匠たちの絵の中で、あなた方はこれまでに見たことがありますか、一度も剃ったことのない長い顎髭を蓄え、目は若干灰色がかった焦げ茶色で、顔は焼いた黄土色でしわくちゃだらけの人物を。私の父はまさにそんな様子をしていました。
あるいは、ハガダー(出エジプトに関する物語)の挿絵の中で、過ぎ越しの祭の安らぎに満ちた表情をした愚鈍そうな人物の顔を見たことがあるでしょうか? それが父の顔なのです。(父さん、ごめんね!)
父さん、私がある時あなたの似顔絵を描いたことがあるのを覚えていますか。あなたの肖像画は、燃え上がったり消えそうになったりしているロウソクに似ているに違いありません。だって眠気が襲って来たのです。ハエが…..ちくしょう…..ブ〜ンブ〜ンと音を立てて、僕を眠りに誘うのです。
そもそも父のことを話す必要があるでしょうか?
無価値な人間の価値ってなんでしょうか? でも、父親はとても大切な人でしょう? だから、父のことを語る適切な言葉を見つけるのが私には難しいのです。
へデルの教師だった祖父は、長男である私の父がほんの子供だった頃から、彼をニシン商人の配達人にし、次男は美容師の見習いにするのが一番だと考えました。もちろん、父は配達人に留まることはありませんでしたが、32年間肉体労働者の域を出ることはありませんでした。
父は巨大な樽を引きずって運んでいました。重い樽を動かしたり、寒さで硬直した手でニシンを塩水から取り出す姿を目にしたとき、私の心臓は脆いトルコビスケットのように音を立てて割れたような気がしました。一方、太った主人はかかしのように父の傍らに突っ立っていました。
祖母。1922~23年。紙、銅版画、ドライポイント。
父の服にはいつもニシンの塩水が飛び散っていました。ピカピカ光る鱗があちこちにくっついていました。そして時には、生気なく黄色く青ざめている彼の顔も、かすかな笑みを浮かべることがありました。それはなんと素晴らしい微笑みだったことか! 一体どこから生まれて来たのだろう?
父は、暗い月明かりに照らされた通行人の姿が行き交う通りから、まるで風に吹き込まれたように家の中に入って来ました。そして父の歯が突然光るのを私は目にしました。それは猫の歯や牛の歯や色々なものを連想させました。私には父は謎めいていて物悲しい人物に見えました。なんだか理解し難い人物でした。
父はいつも疲れていて、不安そうな表情を浮かべていましたが、目だけは輝いていて灰色がかった青い光を放っていました。背が高く痩せていた父は、汚れて油じみた作業着のポケットを膨らませて家に帰って来ました。ポケットから色あせた赤いハンカチがはみ出ていました。夜はこのような父とともに我が家にやって来るのでした。
ペスコヴァチクの家、1922-1923. 紙、銅版画、ドライポイント。
父はそのポケットから手のひら一杯のピロシキや砂糖漬け梨を取り出して、褐色の逞しい手で、私たち子どもたちにそれらを分けてくれました。私たちは、父からもらうそれらのお菓子のほうが、自分でテーブルから取るお菓子よりもずっと魅力的で甘いように思えました。そして、父のポケットからピロシキや梨を私たちがもらえない夜は、味気ないものになりました。
父を理解していたのは私だけでした。父が我がユダヤ民族に特有の肉体と、情熱的だが静かで詩的な魂を持っていることを私は理解していました。
物価が高騰した最晩年まで、父の収入は20ルーブルそこそこでした。客からのわずかなチップがこの惨めな収入を少し補っていました。とはいえ、若いころの彼は、決して貧乏な花婿というわけではありませんでした。
当時の写真や、私の記憶にある家族の服装から判断するに、父は身体が強かっただけでなく、貧乏でもありませんでした。父は婚約者に(彼女はまだチビのほんの小娘でしたが、結婚した後も背が伸びました)豪華なショールを贈っています。
結婚すると、彼は父親(シャガールの祖父)に生活費を払うのをやめ、自分自身の家で暮らし始めました。
でもその前に、長い顎髭を生やしていた祖父の肖像画を描きたいと思います。祖父が長くヘデル(ユダヤ教初等学校)の教師をしていたかどうかは知りませんが、皆から尊敬されていたようです。
10年ほど前に最後に祖母と一緒に祖父のお墓に行った時、墓標を見て、「本当に立派な人だったのだ」と再度納得しました。非の打ち所のない聖なる人でした。
祖父は濁った流れの速い川のほとりに埋葬されています。墓地は黒々とした生け垣で川から仕切られているところにあり、大昔からそこに眠っている他の<義人>たちと並んで丘のふもとに祖父は葬られています。
墓標の文字はほとんどかすれていましたが、ヘブライ文字で「ここに眠る…」と書かれているのが分かりました。
祖母は暮石を指差して、「これがあなたの祖父、あなたの父の父、そして私の最初の夫のお墓だよ」と言いました。
祖母は泣くこともできず、ただ唇を動かして囁いていました。独り言を言っているようでもあり、祈っているようでもありました。
私は、まるで祖父の目の前に立っているかのように、墓石や盛土の前で首を垂れて、祖母の嘆きに耳を傾けていました。祖母は、まるで地の底や永遠に閉じ込められたものが入っているお櫃に向かって語りかけているようでした。
「ダビッド、お願いだよ、私たちのために祈っておくれ。私ですよ、あなたのバシェバですよ。あなたの病気の息子のシャーチャと、かわいそうなズィーシャと、その子供たちのために祈っておくれ。彼らが常に神と人々の前で清廉であるように祈っておくれ。」
私は祖母と一緒にいるといつも気がやすまりました。祖母は背が低く痩せていて、全身をショールと床まであるスカートで覆っていました。そして皺だらけの顔をしていました。彼女の身長は1メートルをほんの少し超えるくらいでした。
そして、彼女の心は、愛する子供たちへの献身と祈りですっかり満たされていました。夫を亡くした後、彼女はラビの許しを受けて、同じくやもめだった私の2番目の祖父(私の母の父)と結婚しました。私の両親が結婚した年に、祖母の夫と祖母は亡くなり、家督は母に引き継がれました。
(第1章終了)
角伸明の
「ユダヤ人画家シャガールの面白さに惹かれて」より
(季刊誌「We Love 遊」に掲載されたもの)
「死者」~屋根の上のバイオリン弾き
ユダヤ人画家シャガールの面白さに惹かれて1
「私と村」(1912)について
https://x.gd/KLRc9
「七本指の自画像」「ロシア、ロバ、その他のものたちへ」
ユダヤ人画家シャガールの面白さに惹かれて 3