片山ふえ
この5月30日に、ロシア美術の殿堂「トレチャコフ美術館」(モスクワ)で「マイ・ミトゥーリチ生誕百年記念展覧会」がオープンするそうです。素晴らしい作品をたくさん遺した画家ミトゥーリチさんは私にとって忘れられない人。モスクワには行けないので、今回はここで読者の皆さまと彼の心温まる絵の世界をご一緒に楽しみたいと思います。
「大きな木の家を作って、みんなで語り合いましょう」、そう夢見たピロスマニに心を寄せて
片山ふえ
この5月30日に、ロシア美術の殿堂「トレチャコフ美術館」(モスクワ)で「マイ・ミトゥーリチ生誕百年記念展覧会」がオープンするそうです。素晴らしい作品をたくさん遺した画家ミトゥーリチさんは私にとって忘れられない人。モスクワには行けないので、今回はここで読者の皆さまと彼の心温まる絵の世界をご一緒に楽しみたいと思います。
片山ふえ
これは2002年秋に書いた「We Love遊」17号の記事を加筆修正したものです。
いつからだろう、気がつけば私はすっかり「お節介婆」になっていた。昔はシャイで非社交的で、およそお節介とは縁遠かったのに。人間変われば変わるものである。長らく暮らした大阪の空気が、潜在下にあった私のお節介癖を引き出したのか。大阪はとてもお節介な街なのだ。
“仲人虫~傑作が生まれた出会い(「We Love遊」17号より)” の続きを読む
「百」という数には、なにかこう、99までとは違った重みがありますね。「百人力」とか「百戦錬磨」と言えば力強いし、「百薬の長」といえばいかにも身体によさそうだし(笑)、「名を百代に残す」のはなかなか出来ることではありません。(もっとも、最近はちょくちょく「百条委員会」なんていうのも耳にしますが……。)
なぜこんなことを書くかと言えば、「ムーザサロン」が先日めでたく百回目を迎えたからです。 “「ムーザサロン」のこと” の続きを読む
片山ふえ
ひらかたゆ 笛吹きのぼる近江のや
毛野(けな)のわくごい
笛吹きのぼる
日本書紀に出てくるこの古歌が、私の「ふえ」という名前の源であることは、「We Love遊」に書いたことが2度あるので、覚えていてくださる方があるかもしれません。
(6号に掲載した「ひらかたゆ……」はこちらでご覧いただけます)。
実は先ごろウクライナのキーウで一冊の日本紀行文が出版されました。その本の題名は “Японія. З хіракати під голос флейти… “これを訳すと、なんと『日本 / 枚方ゆ笛ふきのぼる……』なのです! “ウクライナで出版された本『ひらかたゆ……』” の続きを読む
このエッセイを書いたのは、今から四半世紀も前の1999年末、「ミレニアム」を控えたころでした。私は当時50歳になったばかり。なんだか気恥ずかしい思いがする「大昔のエッセイ」ですが、私の名前の由来についてです。 “ひらかたゆ…(「We Love 遊」6号より)” の続きを読む
片山ふえ
ウクライナ侵攻が始まって2年がたった今年の2月、私はあるビデオを発信しました。題して「ウクライナの芸術家たちは今……」
https://youtu.be/jtLJdGYgLg4
もうご覧くださった方、ありがとうございます。
まだの方は、ぜひここでご覧ください。今回はこのビデオにまつわる話を……。 “「ウクライナの芸術家たちは今……」” の続きを読む
片山ふえ
これは2007年の秋に季刊冊子「We Love 遊」に書いたものです。
そのころ「千の風になって」の歌がブームになっていましたが、私たち姉妹は「あれはパパの歌ね!」と話したものです。父が千の風になった話、聞いてください。
片山ふえ
お待たせいたしました。
皆さまとご一緒に「大きな木の家」の扉を開けたいと思います。
まずは、この「ふえと大きな木の家」というネーミングにこめた想いを聞いてくださいますか。 “大きな木の家を建てました!” の続きを読む
2023年7月で紙の冊子「We Love 遊」を卒業し、2024年からは、ネット上でその時どきの出来事や思うところを綴ろうと思っております。どうぞ、よろしく!
新しい門出!と思っているところに、思いがけない「応援グッズ」をいただきました。天衣無縫な絵が人気の画家スズキコージさんが、私の家「ムーザサロン」のためにこんな応援旗を作ってくださったのです。
目のご不自由なコージさんが切り紙細工に没頭される姿は、マティスを彷彿とさせました!
こんな応援をいただいたからには、がんばらなくちゃ!!