「ユーラシア放浪」4ハンガリー

ハンガリーの友人たちの思い出               
畔上 明

日本を離れて6週目となる1976年4月30日、ハンガリーに入国しました。
ハンガリーは、9世紀にウラル語族の遊牧民マジャル人が東欧スラヴ圏中央部の平原に割込むように移り住んで成立した国。現在の国土は日本の4分の1という小国ながらヨーロッパの臍ともいえる場所を占めています。 “「ユーラシア放浪」4ハンガリー” の続きを読む

「ユーラシア放浪」3

ポーランドでの1週間
畔上 明

1989年11月10日ベルリンの壁崩壊のニュースは、私にとって人生の大きな転機となりました。
当時の私は、1970年代から80年代にかけてソ連との貿易、旅行、流通にかかわる仕事のことごとくで挫折を味わい、20代から30代にかけて七つもの職を転々としていたのですが、ベルリンの壁崩壊の後まもなく、北欧の現地ツアー手配会社「ツムラーレ」から誘いを受けたのです。39歳、不惑を迎える直前のことでした。 “「ユーラシア放浪」3” の続きを読む

「ユーラシア放浪」2

シベリア鉄道での出会い  
             
畔上 明

格安航空券という渡航手段が出回る以前の1970年代、ヨーロッパに向かう若者たちにとってはナホトカ航路で大陸に渡りその先ソ連国内を通過するというのは一般的な旅行ルートでした。
横浜港からの2泊3日の航海を共にした300名の船客の大半は、ソ連国内の航空運賃が安価なことからハバーロフスクからモスクワ迄は空路を利用します。しかし、ほぼ同じ料金であっても8,500キロの大地を一週間かけてじっくり這うように移動したいと望む十数人がシベリア鉄道の客となるのでした。 “「ユーラシア放浪」2” の続きを読む

ユーラシア放浪 リトアニア’76

畔上 明

若き日の揺れ動く心をかかえて横浜を出たのは1976年3月26日のこと。9ヶ月の長きにわたった私の放浪の旅の始まりでした。ナホトカ航路からシベリア鉄道の道中では日本人旅行者との出会いと別れがありましたが、モスクワから先はいよいよ日本人一人旅です。

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digital 遊への抱負

四半世紀に亘る個人季刊誌「遊」の記念すべき100号となる冊子の中で、来年度からの Digital版に向けての予告としてご挨拶の機会を与えて頂いた畔上(あぜがみ)です。

これまで「遊」の熱烈なる一愛読者であった者が執筆陣の一員に参加させて頂くということでやや緊張しておりますが、皆さまどうかよろしくお願い致します。

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