世界の彷徨い方

中村小夜  (Saya)

はじめまして。
旅の途中で日が暮れてしまい、遠くに見える灯をたよりに、この「ふえと大きな木の家」に迷い込んできました。あたたかい家主のふえさんに手招きしていただき、素敵な皆さまが集まるこの大きな木の家の片隅に腰かけて、異国の旅のお話などできると嬉しく思います。

わたしは中世イスラームを舞台にした歴史物語を書いている物語作家です。偶像崇拝を徹底的に排したイスラーム世界では、建物も、空間も、衣装も、書物も、文字と幾何学文様で埋め尽くされ、まるで目で見る音楽のような響きが共鳴します。そんな世界に魅了され、「いつか物語を書くなら、現地の空気や匂いや手触りを体験してから書きたい」と思い、突然、会社を辞めて1999年から2002年にかけて、中東と地中海を旅しました。 “世界の彷徨い方” の続きを読む

チェーホフの言葉 第2回

「つとめを果たす(2)―『僧正』」
渡辺聡子

 題名
「僧正」は、仏教の高僧を表わす言葉ですが、ロシア語の原題は «Архиерей» (アルヒエレイ)、正教の位階最高位に位置する主教職をさし、主人公の副主教ピョートル(修道名)もその一員です。1902年、チェーホフの死の2年前に書かれたこの作品は、主人公が復活祭を目前にして亡くなるまでの1週間をたどりますが、作者の自伝的要素を影のように織り込みつつ、人生と死を、永続的な時間や大きな世界において見た作品でもあります。
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フォリパ・ピアス作『トムは真夜中の庭で』

大人が読む少年少女世界文学全集 第5巻
狩野香苗

◆いつか読まねば……という、「ねばならぬ本」

今回の『トムは真夜中の庭で』は、前回の『秘密の花園』と同じくイギリスのビクトリア朝の“庭”を舞台にした児童文学で、同じようなテーマが続き恐縮なのだが、このテーマがマイブームなわけでも、究めたいわけでもない。
たまたま時代的に20世紀前半に書かれた本が続いたので、今回は比較的新しい本――近現代を舞台にした本を読もうと思って選んだ結果なのだ。
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吉水法子の貼り絵の部屋 5

フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』によせて
吉水法子

めまぐるしく展開する時間の変化に追われて筋を追うのが精一杯。読み終わったものの最後までその世界に馴染めず、おぼろげな絵のイメージは掴んだのもののなんだかモヤモヤ・・

不思議なことですが、二度目に読んだときは、トムが月の光に浮かぶイチイ木の枝をかきわけるように、お話の中にどんどん入り込んでいきました。そこには少女時代も、成長しても魅力的なハティがいつも待っていたような気がします。

「かわらないものなんて、なにひとつないものね。わたしたちの思い出のほかには。」 “吉水法子の貼り絵の部屋 5” の続きを読む

ミトゥーリチさん生誕100年に寄せて

片山ふえ

この5月30日に、ロシア美術の殿堂「トレチャコフ美術館」(モスクワ)で「マイ・ミトゥーリチ生誕百年記念展覧会」がオープンするそうです。素晴らしい作品をたくさん遺した画家ミトゥーリチさんは私にとって忘れられない人。モスクワには行けないので、今回はここで読者の皆さまと彼の心温まる絵の世界をご一緒に楽しみたいと思います。

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仲人虫~傑作が生まれた出会い(「We Love遊」17号より)

片山ふえ
これは2002年秋に書いた「We Love遊」17号の記事を加筆修正したものです。

いつからだろう、気がつけば私はすっかり「お節介婆」になっていた。昔はシャイで非社交的で、およそお節介とは縁遠かったのに。人間変われば変わるものである。長らく暮らした大阪の空気が、潜在下にあった私のお節介癖を引き出したのか。大阪はとてもお節介な街なのだ。
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「ユーラシア放浪 ⑤」

旧ユーゴスラヴィア 
畔上 明

「オリエント急行」に揺られて16時間、ハンガリーから東南東のルーマニアへとやって来たのは1976年5月4日の昼、横浜港出航からは40日目のことでした。そして首都ブカレストに7日間、ブルガリアの首都ソフィアに6日間滞在、5月16日にはソフィアから「イスタンブール急行」でユーゴスラヴィアへと入国しました。 “「ユーラシア放浪 ⑤」” の続きを読む

PHOTO 閑谷学校

片山通夫

「閑谷(しずたに)学校」は、岡山藩の名君・池田光政公が庶民も学べる場所として1670年に閑谷村に開設した学校で、「世界初の庶民のための学校」といわれている。庶民の学校だからと、寺子屋などをイメージすると吃驚する。壮麗な建物は隅々まで考え抜かれて造られており、実に行き届いた教育制度がしかれていたという。この学校のことを調べるにつけ感じ入るばかりで、昔撮った写真をまた引っ張り出してみた。
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