digital 遊への抱負

四半世紀に亘る個人季刊誌「遊」の記念すべき100号となる冊子の中で、来年度からの Digital版に向けての予告としてご挨拶の機会を与えて頂いた畔上(あぜがみ)です。

これまで「遊」の熱烈なる一愛読者であった者が執筆陣の一員に参加させて頂くということでやや緊張しておりますが、皆さまどうかよろしくお願い致します。

振り返れば47年前、25歳の春、横浜の港から旅立ちユーラシア大陸を放浪した日々について書き記す予定でおります。

ソ連船ジェルジンスキー号での旅立ち

若気の至りと言ってしまえばそれまでですが、無謀とも思える決断には、幾つかの要因がありました。

その4年前となる学生時代、ロシア語教師から背中を押されるようにして当時のソ連という国を見て回る旅行を経験しました。特にシベリア鉄道での時間を超越した旅の醍醐味が忘れられず、若いうちに再度その体験を得たい、シベリア鉄道の先のヨーロッパ諸国、当時まだまだ平和であったアフガニスタンを始めとするアジアの国々などへも足を延ばしたいと夢想するようになりました。

アフガニスタン

社会に出て最初に就職したソ連専門商社が財政悪化の一途をたどり倒産が目に見えてきたこと、付き合っていた女性に振られてしまったことも、旅立ちへの拍車がかかりました。

ツルゲーネフの「ハムレットとドン・キホーテ」に刺激され、頭で考えるばかりの自分から転身して無茶と思えても行動するドン・キホーテになるのだ、とスラヴ諸国巡りの行きつく先はスペインへと考えたりもしました。

スペイン ラマンチャ地方カンポ・デ・クリプターナ

そして、旅先では人との出会いを重ね、試行錯誤の中で将来をあらためて考えつつも、いつ終えるとは知れない歩みをかみしめる様に進めていたのでした。

モロッコ、カサブランカにて

もう日本には帰らないかもしれないと旅立ちはしたものの、結局足掛け9ヶ月の放浪の果てに帰国。

その後の半世紀近い人生に紆余曲折はありましたが、ほぼ旅行との関わりを持つ仕事に携わってきた半生は、20代半ばの放浪に起因しているのです。

旅行業界内部では、マニュアルに囚われがちな傾向に対して、初心に抱いていた本来の旅の楽しさからの発想を心掛けたものでした。

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