大人が読む少年少女世界文学全集 第2巻
狩野 香苗
子ども時代に読んだ児童文学を、半世紀を経て大人が読み直すというこのシリーズ。第1巻の『飛ぶ教室』が内容をまったく忘れた名作であったのに比べ、第2巻は何回も何回も読み続け、内容はもちろんのこと、当時の読後の胸の高鳴りまで今も鮮明に覚えている、私の読書体験の原点ともいうべき『十五少年漂流記』だ。

えっ、また? と、うんざり顔のそこのあなたは、紙版『We Love 遊』の古い、ふる~い読者ですね。そう、すでに15年も前になるが、私は『十五少年漂流記』への熱い想いを『遊』Vol.44に「もしも休暇が2年間あったなら……」のタイトルで書き散らしていた。今回、久しぶりに拙文を読み返してみたのだが、今もそこに書かれた思いはまったく変わらない。ちょっと恥ずかしくなるようなことも書いてあるのだが……まぁ、こんな具合です。
――前略――19世紀、ニュージーランドから無人島に漂流した15人の少年たちの2年間の生活を描いたこの本を、小学校5年生の私は近所の古本屋でみつけた。そして400頁ほどの分厚い本を一気に読み終えると、また最初から読み直し、何日も何日も同じ本を読み続けた。学校が終わると一目散に家に帰り、友だちとも遊ばずに読み続け、夜は枕元に本を置いて寝た。そして深いため息をついた。
“面白い本”を求めて手当たりしだいに本を読み散らしていた私は、ついに宝物を手に入れたのだ。この長い長い冒険物語は、私に読書する喜びを教えてくれた。ついでに、初恋も。私は物語の主人公ブリヤンという少年に恋をしてしまったのだ。これには参った。
グループサウンズ全盛時代、友だちがジュリーやショーケンの話を夢中でしている中で、私は「ブ、ブ、ブ……、ブリヤンが好き! 13歳のフランス人の男の子で、ニューシーランドに住んでいて、船が漂流して2年間も無人島にいたんだよ!」と言っては、浮きまくっていた。相当におかしな状態であった。
幸いにも、このかなわぬ初恋は1年ほどで自然消滅したが、『十五少年漂流記』が教えてくれた読書する喜びは、それから消えることがなかった。――後略――
ということです。では、今回はこれでおしまい……というわけにはいかなかった! この初恋の冒険小説を、50年ぶりに読み直すという重大なミッションが待っているのだ。
ジュール・ベルヌが1888(明治21)年に書いた『十五少年漂流記』は、1896(明治29)年、森田思軒の訳で「十五少年」として日本で初めて紹介された。以来現在まで、数多くの出版社から様々な訳で刊行され、少年少女文学全集にも必ず含まれる、超ロングセラーの本だ。
私が57年前に読んだ『十五少年漂流記』の古本は、すでに手元にはなく、誰の訳でどこの出版社の本だったかがわからなかった。それでも、少年少女文学全集の中の1冊であったことと、本の装丁や挿画は覚えていたので、それを手掛かりにネット検索してみた。やがて、懐かしい表紙絵を見つけだし、1960(昭和35)年に発行された講談社の少年少女世界文学全集の23巻だとわかった。
見つけ出したこの本は、新刊で定価200円だったから、子どもの私が買ったときは、おそらく100円程度の古本になっていたはず。ところが、なんと、現在では3000円もする「古書」になっていた。高いなぁ……とため息をつきながら、再読は別な出版社の本にすることにした。それは、福音館書店の『二年間の休暇』だ(原題の《Deux ans de vacances》通りの訳)。
中学生になった1968(昭和43)年、この物語が福音館古典童話シリーズの第1弾として出版されることになった。その本は近所のかび臭い古本屋などではなく、ターミナル駅の近くの大きな新刊書店の児童書コーナーの中に、うやうやしく鎮座していた。私の大事な古本は裸本だったけど、それはシンプルな素敵なデザインの函に収まっていて、本のサイズもずっと大きく、ベルヌの原作と同じタイトルがつき、なんだがやけに立派だった。
もちろん、値段も立派だった。詳細な値段は覚えていないのだが、1500円くらいだったと思う。当時、岩波文庫の★が1つ50円から70円になったばかりで、家の経済状態がわかるようになっていた中学生の私には、福音館の本は贅沢だったし、中学生にもなって“童話”を読んでいるのかと思われるのも嫌で、親にねだることができず、読んだことがなかった。
あれから半世紀、私は自分のお金で好きな本が買えるようになった。再読は憧れのあの本に決めた。福音館古典童話シリーズは今も刊行され続けていて、値段がちょっと心配だったが、定価2530円(税込)だった。ちなみに、岩波文庫の星は、1979(昭和54)年に☆100円+★50円になり、1981(昭和56)年には星がなくなり金額表示にかわった。
長い、長い前置きとなった。で、再読してみてどうだったのか?
やっぱり面白かった!夢中で読んでしまった!! 子どもの頃は何日間もかけてゆっくりじっくり読みふけったものだが、大人になった今は、集中して2日間ほどで読めた。高齢者にとっては児童書の大きな文字が、なにより読みやすかった。
あらすじは覚えていた通りだが、講談社版(小林正訳)と福音館版(朝倉剛訳)の表記違いもあり、びっくりするような私の思い違いもあった。大英帝国の植民地であったニュージーランドの子どもたちが主人公のこの物語は、英語で書かれた英国文学だと思い込んでいたのだ。今回、再読にあたりそのことが頭をかすめ、「あれへんだな、ベルヌはフランス人だったよね」と、執筆の背景を調べ、初めて原文はフランス語だと知った。
英国文学なのに、フランス人のブリヤンを優しく勇気のあるヒーローとして描いており、そのブリヤンとことごとく対立するイギリス人のドニファンを高慢で鼻もちならぬ少年として描いているのが、子ども心に不思議だったが、ベルヌがフランス人であることを思えば、納得できる。
反対に、ベルヌは少年たちがニュージーランドで受けていたイギリス式の教育を絶賛し、規律の厳しさや勤勉さが、2年にもわたる少年だけの生活の秩序を保ち、少年たちの成長に繋がったと書いている。だが、これをフランス人ベルヌの風刺というか、皮肉として読むと、それがまた面白い。そんな新発見があり、何度も何度も繰り返し読んだ古い冒険物語の再読なのに、とても新鮮だった。
昔も今も、読んでいて違和感があったのは、少年たちの年齢に合わない大人っぽさだ。ブランデーを垂らした水を当たり前のように飲むし、日曜日には盛装し、子どもなのに鉄砲で狩りをし(これで食料不足にはならなかったのだが……)、悪人をピストルで撃ち殺しても平然としている。動植物や気象の知識も豊富で、様々な道具を器用に操って機械の解体・組み立てもできる。まっ、それがなければ少年たちだけの漂流記はなりたたないわけで、「こんなことありえない!」と思ってしまうと、この本はまったく楽しめない。リアルな描写と思わせて、実は壮大な童話(ファンタジー)であることが、この本の魅力なのだ。
島の景色や探検の様子など、同じような描写が延々と続き、退屈な部分が多いことも新発見だった。ご都合主義のように物語が展開するのも気になった。それでも子どもの頃のように少年たちの喜怒哀楽をわがことのように味わう楽しさは格別だ。だが、どこか違う。子どもの頃のように熱狂し、なにもかも忘れて物語の世界にはまり込むようなことはなく、冷めた感覚があった。
子どもの私は何より、子どもだけで日常の世界を離れ、大人の干渉の届かない世界で自分たちの力だけで生き抜いていく、その自由さに、強さに、憧れた。彼らはホームシックにならない。両親や自分の住み慣れた家を思い出して涙ぐむこともない。次々と冒険に挑み、嵐や猛獣に襲われても団結してその恐怖に打ち勝ち、最後には恐ろしい殺人犯を退治して、彼らの船を奪って、無事帰国を果たしてしまうのだ。
いや、現実はそんなもんじゃない……というのを、大人になって私は知った。人は弱いものだし、いろんな柵を引きずって不自由の中で生きていかなくてはならない。だからこそ、こうした物語世界は人が生きていくのに欠かせないものなのだ。子ども時代に『十五少年漂流記』という冒険小説に熱中できたのは幸せだった。あの非現実的な世界の楽しさが、ずっと自分を支えてくれていたんだと、再読してしみじみと思う。
ただ、半世紀以上前に訳された日本語は、ところどころ古めかしくて馴染めない箇所もあった。今では差別用語となっている言葉も多い。現代の作家が訳した新訳の『十五少年漂流記』は、どうなっているんだろうか?
あぁ、今度は新訳で読み返してみたくなった! またしても、である!!
- 関連書籍
『We Love遊』Vol.44の「もしも休暇が2年間あったなら……」の関連書籍紹介を、加筆修正しました。
『イラスト図解 十五少年漂流記(絵でみる世界の名作)』ベルヌ原作、PHP研究所編、2007年、1800円(税別)
絵本仕立ての『十五少年漂流記』ダイジェスト版と、その合間に物語に登場する動植物の解説や、少年たちが住んだ洞穴の見取り図などが描かれている。『十五少年漂流記』オタク必携のガイド本。
『謎解き少年少女世界の名作 (新潮新書 22) 』長山靖生著、2003年、680円(税別)
鋭い視線と深い知識や広い洞察力に裏付けられた優れた文芸評論。それを気軽に読みやすく、わかりやすく描いている。プロフィールによると、著者は歯科医のかたわら文芸評論や社会時評を書いているが、これは“かたわら”にできるような仕事ではない。
欧米では19~20世紀初頭に急速な資本主義の発展に伴って社会制度が解体し、その影響は子どもたちの社会を直撃した。本書は当時の少年少女小説15作の背景にある、そうした近代史の真相を謎解いており、目から鱗、古色蒼然とした名作物語から新たな世界がひろがり、夢中になって読んでしまった。もちろん、『十五少年漂流記』も取り上げられている。アングロサクソンンの上流階級の少年たちが主人公のこの物語は、「白人階級社会的価値観」が支配する世界を描いているというのが、本書の分析。
『二年間の休暇 』福音館文庫、2002年、上770円、下715円
豪華版の函入りハードカバー「福音館古典童話シリーズ」を、上下2冊に文庫化したもの。
『十五少年漂流記」への旅 』新潮選書、椎名 誠著、2008年、1100円
本書の帯には「『十五少年漂流記』を初めて読んだのは小学校のときだった。〈中略〉それはぼくが人生の中で物語の世界にはじめてのめりこんだときでもあった」とある。私と一緒!
これまで物語の無人島のモデルは、マゼラン海峡のハノーバー島とされていたのだが、まったく別な島という新説を日本人学者が唱えている。それを実証すべく旅にでたものの、話はあちこちに流れていき、その気ままさが加減が面白い。
新潮文庫版は2021年、605円。
新潮モダン・クラシックス『十五少年漂流記』椎名誠、渡辺葉共訳、2015年、1980円(税込み)
〈絶海の孤島で暮らす少年たち〉物語の元祖にして最高傑作! 熟読してきたシーナ父娘による新訳決定版刊行。今、一番読みたい新訳だ。