あるピアノのはなし(「We Love遊」96号)

この拙文は、季刊冊子「We Love 遊」96号(2022年7月刊)に掲載したものです。

去る4月の夜のこと、私は我が家の広間にひとり座ってちびりちびりとワインを飲んでいた。フロアランプの灯りがほの暗い部屋はしーんと静まりかえっていたが、そこには昼間の熱気がまだ残っているようだった。その日、ムーザサロンでは馴染のピアニスト田中正也のリサイタルが開かれたのだ。
「頑張ったねぇ!」、私は部屋の隅のピアノに話しかけた。心地よい酔いが私を昂らせていた。「すごかったよ!本当に、よく頑張ったね!」

そのピアノが我が家にやって来たのはもう40余年前、今やすっかりオバサンになった我が娘が3歳になった頃のことだった。買ったのは義母。無類の祖母(ばば)バカだと見抜いたピアノ業者が巧みに勧めたのだろう、それはマホガニー色が美しいネコ脚のAPOLLOのピアノで、家庭用のアップライトとしてはちょっと高級な部類に属するものだったと思う。

だがこの美しいピアノを待っていたのはまことに退屈な日々だった。子供たちは私の叱咤激励のもとでピアノ教室に通ったものの、熱意もなければ、音楽のセンスもなかった。そしてそれも無理からぬこと。何を隠そう、私自身が小学2年生のときにギブアップした過去を持っているのだ。
数年の間子供たちは教室に通ったが、どうやらこれは時間とお金の無駄遣い……そんな気がしてきた。お金はもっと有意義なことに使わなければ! そこでその月謝を、国が貧しいために教育を受けられない子供のために役立てるフォスタープラン(現プラン・インターナショナル)に使おうと提案したら、娘も息子も二つ返事で賛成した!
かくして、アフリカのシエラレオネに住む男の子が我が家の「フォスターチャイルド」となり、美しいピアノは誰にも弾かれないままに無為の日々を過ごすこととなったのだ。

ピアノに転機が訪れたのは2002年のことである。ジョージアのチェリスト、ギア・ケオシヴィリさんがホームコンサートのできる場所を探していると知人から聞いて、改築が終わって間もない我が家の広間を使ってもらったところ、その素晴らしかったこと! 天井が高く漆喰と木でできた部屋は音を快く響かせたし、おまけにチェロの音色は床からも伝わってきて、全身が音楽にすっぽりと包まれるような、幸せな気分になったのだ。
「音楽浴」とでもいうような快感が忘れられなくなった私は、友人に協力を頼んで、定期的にサロンコンサートを開くことにした。
これを誰よりも喜んだのは、長い間眠っていたピアノだったかも知れない。下手くそな子供ではなく、プロのピアニストに弾いてもらえるのだ! やっと自分本来の仕事ができる、ピアノはそう思ったことだろう。

やがて私は調律という行為がピアノにとっていかに重要かを知るようになった。調律とは音程の狂いを直す作業――それまで定期的に訪れていた契約調律師の仕事をみてそう思っていたが、あるとき演奏家に伴われてやって来たコンサート・チューナーの創り出した音を聞いて、私は思わず我が耳を疑った。
この豊かな音色が、うちのピアノ?
それは、20数年目にして初めてピアノが朗々と歌った記念すべき日だった。

そして2011年6月、ピアノは最高の理解者に巡り合ったのだ。ピアニスト谷川賢作さんのコンサートをした折りに知り合った調律師、鈴木優子さん。飾らない人柄、爽やかな笑顔のなかに深い精神性を秘めた女性だった。


優子さんに調律してもらうと、ピアノはとてもやさしい気持ちになるらしい。それが音に出る。正確で美しいだけではない。しみじみと心に届く温かい音を優子さんは引き出してくれる。
「優子さんが調律をしたピアノは、音を聞くだけでそれと分かる」と言う人までいて、それも納得できるのだ。
我が家のピアノは優子さんのお蔭でのびのびと歌うことを覚えた。その日のプログラムや演奏者に合わせてうまく調律してもらえるので、安心して音を出せるのだろう。

だがその日はいつもと少し違った。優子さんが珍しく緊張していた。この日のピアニストは、15歳で単身モスクワへ渡り、モスクワ音楽院でロシア・ピアニズムを極めた田中正也さん。ダイナミックで流麗な演奏はムーザサロンでも評判で、すでに4回目の登場だ。そして、この日のために彼が選んだ曲が『展覧会の絵』だった。

田中さんのリハーサルに付き添う優子さん

世間に認められず、失意の中でアルコールに溺れて命を縮めた天才作曲家モデスト・ムソルグスキイ。これはその晩年の作品で、夭折した親友V.ガルトマンが遺した絵の数々に曲想を得て作ったもの。30分ほどだが、ドラマ性の強い大曲である。
「えーっ、『展覧会の絵』ですか!?」と優子さんが一瞬絶句した。無理もない。アップライトピアノには荷が重すぎる選曲だったから。
「でも、このピアノをご存知の正也さんが決められたのだし」と優子さんは自分に言い聞かせるように呟くと、調律に集中した。リハーサルが終わった後も、また黙々と調律した。頑張ってね、と彼女はピアノに語りかけているようだった。

そして、ピアノはその期待に応えたのだ! お馴染みの「プロムナード」の旋律に続いて展開する様々な絵。
「小人(グノーム)」「古城」「テュイルリー、遊びの後の子供たちの口げんか」……時に重々しく、時に軽快に、音楽は物語を紡いでいく。やがてロシア民話の妖婆バーバ・ヤガーの不気味な小屋が現れる。荒れ狂う音の波。それに続く「キエフの大門」の壮麗なメロディ。


ピアノは吠え、そして高らかに歌った。その力のすべてを出し切って、ピアノは声を限りに歌っていた。
みんなの顔が輝いていた。正也さんも、優子さんも、お客様も。
ピアノは本当に幸せそうだった!

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田中正也さんの「展覧会の絵」https://x.gd/ft4yd

 

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